「北朝鮮の非核化」を言う前に考えるべきこと、いくつか

若林盛亮

朝鮮戦争の終結を宣言し強固な平和体制構築を謳った南北首脳会談とその結実である板門店宣言は世界を驚かせ、同時に朝鮮半島が平和と繁栄、統一に向かうことを世界は祝福した。

トランプ大統領さえも「良いことが起こっている」と評価した。ところが日本の政府だけでなくマスコミ、言論界だけは「北朝鮮の非核化が不十分」だと不満を述べている。

これはどう考えても異常なことだ。

この異常事態を脱するために、角度を変えて朝鮮から見た「非核化」とはどのようなものになるのかを考えてみる必要があると思う。

まず「北朝鮮の核とミサイル問題」はそもそも朝米間の戦争状態持続から生起した問題であり、米国が「停戦協定から平和協定への転換」を拒否し続けて来たが故に生じた問題だということ。

だから今回、南北朝鮮が「戦争終結宣言」を合意したこと、その南北合意を受けて米国が平和協定締結に応じることは、「北朝鮮の核とミサイル問題」解決の大前提だということ、これは日本の政治家、マスコミ、評論家が絶対触れないことだ。

日本人としての良心が問われる問題として訴えたいことは次のことだ。日本は「米国の核の傘」によって守られていると言われている。しかし「日本を守る」という「米国の核の傘」は、朝鮮の人々にとっては「核戦争の脅威」そのものだ。

私の知り合いの若い医師は、年に数回、赤衛隊(民間防衛)訓練に出かける。彼は野戦病院での医療活動の訓練をやる。その際、必ず核戦争に備えた訓練、放射能に冒された患者の治療、放射能汚染対策などがあるとのことだ。

「米国の核」は朝鮮の人々にとって眼前に突きつけられた現実の脅威、日常的な「核戦争の脅威」として広く深く認識されている。

さらに実際に起こった「米国の核による被害」がある。

朝鮮には南北離散家族問題という民族的悲劇が未解決のまま残されている。これの直接的要因は「米国による核戦争の脅威」だということは日本でほとんど知られていない。

朝鮮戦争時、米軍は本気で「北朝鮮への原爆攻撃」を検討した。「北」に住む人々は「核戦争の恐怖」にさらされた。広島、長崎の原爆惨劇は当時、つい数年前の生々しい出来事だったからだ。

ギリギリの選択を迫られた「北」の人々は、男子家系を大切にする伝統的習慣から長男や夫を南朝鮮へと逃し、女性たちが「北」に残った。「北」の離散家族が軍事境界線一帯の地域に多いのはこのためだ。離散家族は「米国の核」が生んだ悲劇なのだ。

ごく最近の出来事で言えば、「反テロ戦争」を掲げた米ブッシュ政権時、「ならずもの国家」の筆頭に「北朝鮮」をあげ、「ならずもの国家に対しては核先制攻撃を辞さない」とした。

前に述べた朝鮮の若い医師の対核戦争医療訓練は、実際の「米国の核戦争脅威」があることの反映であり、実際にこれへの対応策が講じられていることを示すものだ。

南北を問わず、朝鮮の人々にとって切実な「非核化」は、「米国の核の脅威の除去」であり、だからこそ「北朝鮮の非核化」ではなく「朝鮮半島の非核化」実現ということになるのだ。

最後に一言。米トランプ大統領が朝米対話に出てきたのは何故か? もし米本土を射程に入れるという核ミサイル、ICBM「火星-15」試射成功という事実を突きつけられなかったら、果たして「朝鮮戦争の終結宣言に賛成する」という「トランプの勇断」を引き出せただろうか? このことも冷静に考え判断する必要があると思う。

「米中心国際秩序」というこの「戦後日本の『国体』」護持に凝り固まった頭からは、安倍政権やこれを忖度するマスコミ、政治評論家の「北朝鮮の非核化」最優先論しか出てこないが、南北首脳会談が開いた新しい時代はこの古い思考方式から脱することを求めていると思う。

この一文は、そのための一助として読んでいただければありがたい。