魚本公博
先日、日本から「花見」の写真が送られてきました。大阪での花見で、私の孫(4人)を含めた8人もの孫達が「主人公」。思わずニンマリしてしまいました。
朝鮮では、桜の印象はよくありません。日本が朝鮮を植民地支配した時に意識的に植えられたという経緯がありますから。
ところが、どっこい。朝鮮の山野には山桜が多いのです。春には桜の多い山では白い花で霞がかかったようになるほどです。
我々の「村」にも山桜があります。でも直径数センチの小さな木が多く、それに山桜は開花時間が短く1週間も経たないで散ってしまうので、いつ咲いたか気付かないほどで、あまり関心はありませんでした。
そういう事情もあって、これまで気づかなかったのですが、昨年末、付近の林の奥に根回りの直径50㌢にもなる山桜の大木を発見しました。その咲きぶりは見事の一言。ほとんど白色の薄いピンクの清楚な花が満開で、実に心に染みいりました。
桜というのは、日本人の心情に訴えかける何かがあります。それで古来から多くの歌が歌われてきました。その中でも有名なのは「敷島の大和心を 人問はば 朝日に匂う山桜花」という本居宣長の歌。この歌は、戦前、「散り際の美学」として軍国主義的に捉えられた経緯があります。
しかし、「国家の品格」を書いた藤原正彦さんは、この歌は、卑怯を憎み、弱い者いじめせず、清廉潔白に生きようとする、日本人の「美意識」、その心根を歌ったものだと述べ、周辺諸国を侵略した軍国主義は、その精神に背いたから「歴史に汚点」を残してしまったのだと指摘しています。
本当にそうだと思います。祖国を遠く離れた、それも朝鮮の地で、山野の奥で人知れず咲く山桜を見ながら、桜に思いを寄せる日本人の心根、その原点を教えられたようで感慨もひとしおでした。
なお、山桜は実が成ります。1㌢ほどの縦長の実で果肉は多くはありませんが、味が濃くて美味です。数週間後には食べられますが楽しみです。