「春遠し」30年前、境界線を越えた「統一の花」のことを

若林盛亮

歴史的とも言える南北首脳会談、なかでも両首脳が手をつないで軍事境界線を越えて南から北へ、北から南へ自由に往来した映像は、南北朝鮮のみならず世界を感動させた。

私は、この同じ板門店の軍事境界線を越えた「罪」で逮捕、懲役刑に処された一女学生のこと、およそ30年前の出来事を思い出していた。

その女学生の名前は、林秀卿(リム・スギョン)、彼女は1989年、ピョンヤンで開かれた世界青年学生祭典に韓国の全大協(全国大学生連絡協議会)代表として派遣された韓国外国語大学の学生だった。

当時、私は「日本を考える」(私たちの季刊誌)記者として彼女を取材した。板門店までの「祖国統一平和大行進」にも随行し身近で彼女を見ることができた。

「南から大学生が来た」ということだけで「北」の人たちは感嘆、驚喜した。親米軍事独裁政権下にあった韓国の女子大生がピョンヤンに来た! この一事は、当時としては南北分断の壁を破る「歴史的快挙」! だった。当然、世界青年学生祭典ではヒロインだった彼女は誰からも愛され慈しまれた。「北」の人々は林秀卿を「統一の花」と呼んだ。

全大協代表として発言する彼女の演説、アジテーションは感動的なものだったが、なかでも私が忘れられない彼女の言葉がある。板門店までの途上の地方都市での集会でのこと、突然、雨が降り出した。すると林秀卿は集まった大群衆にこう呼びかけた-「みなさん、この雨を見てください。この雨は南と北に分断されたアボジ、オモニたちのヌンムル(涙)、南北同胞すべての流す涙です」!-集まった人々の間には声にならない感動、共鳴のどよめきがわき起こった。

当時の「北」の人々の熱狂ぶりは常軌を逸したものだった。政治行事ではいつも規律、秩序を重んじ行儀よく並ぶ「北」の人たちが、林秀卿が現れるや、社会安全員の制止を振り切って彼女を取り囲んだ。ある若者はデモ行進の先頭で彼女が持つ垂れ幕に、その場で指を切って「血書」をしたためた。またある地方都市では群衆が彼女めがけて押し寄せるので「身辺保護」のためにやむなくデモ行進を途中でうち切らざるを得なかった。私もこんな無秩序な「北」の人々を見るのは初めての経験だった。

「統一の花」、林秀卿は板門店から韓国に帰還することを主張して軍事境界線を北から南に越えた。彼女は「国家保安法」違反で逮捕、懲役刑に、それが南北民衆の悲憤を呼んだ。

あれから約30年を経て、その境界線を南北首脳が手をつないで越えた。この歴史的場面を「統一の花」、50代になった林秀卿はどのような思いで見たことだろう。

ちなみに南北首脳会談を取り仕切った大統領秘書室長、任鍾晳(イム・ジョンソク)、彼は30年前、林秀卿を「北」に派遣した責任者、かつての全大協議長その人だ。彼はまだ南北の「春遠し」30年前に「統一の花の快挙」を綿密に組織、成功させ、いままた「分断と敵対の象徴だった板門店を平和と統一の象徴に変えた」歴史的瞬間、南北「一つの春」を全民族にもたらす壮挙を舞台裏で支えた。

こんな様々なエピソードを想い合わせると、南北の苦難の歴史の重み、そこに貫かれる民族の願い、人々の強い意志、そして今日の歓喜、さまざまなことがとても感慨深い。