赤木志郎
朝鮮半島をめぐる外交戦がはげしくおこなわれている中で、よく日本が「蚊帳の外」に置かれていると言われる。せいぜいトランプ大統領やムンジェイン大統領に「拉致問題」を取り上げてくれと哀願するだけだ。
キム委員長から「日本からは何も言ってこない。いつでも対話の準備はできている」という話を伝えられても、「最大限の圧力で」ということしか言えない。日本外交は麻痺状態に陥っているといえる。
なぜ日本独自の外交がないのか、なぜ自分の頭で考え、日本としての外交をおこないえないのか、そういう声が起こるのも当然だ。
○「脱亜」の破綻
その要因の一つが、日本が明治以来「脱亜入欧」でアジアの外に自分の身をおいてきたこと、戦後はアメリカの「番頭」として、つまりアメリカの覇権代理人としてアジアに外から対応してきたからではないかと思う。
日本はこれまでアジアの一員でありながらアジアの中に入っていなかった。まさに「脱亜 」であり、その結果、「蔑亜」「敵亜」であった。自国もアジアの一員という自覚がなく、欧米と同じく覇権の立場からアジア諸国に対してきたと言える。
今回の南北首脳会談についても朝鮮半島の人々が熱烈に歓迎し、世界中から祝福 されているのに、その反応のなんと冷たいことか。それは、南北に分断された朝鮮の人々にたいする冷たい視線であり、分断の要因である植民地支配にたいする反省のなさを示すものだ。安倍首相が南北の融和を苦々しく見、どういう東北アジアを構想していくのか東北アジアの一員としての声がまるでないのは、明治以来の「脱亜」のままだからだ。それゆえ、日本のアジア外交がなく、アメリカの覇権崩壊とともに破綻するのは当然だ。
○「脱亜」から「入亜」へ
日本はアジア地域に属するアジアの一員であるゆえ、アジアの外にあれば主体的にアジアや世界に対応できない。日本は欧米になることもできないし、なろうとすればするほどアジアとしての自己を喪失 していく。あくまでアジアの一員として世界に対応 していってこそ、日本として自己が果たすべき地位と役割を見いだすことができ、世界の平和と友好に貢献 していくことができると思う。
「脱亜」は、すなわち日本自身が自己の地位と役割をもてなくする、日本の喪失であったのではないだろうか。 まさに日本自身が慟哭すべきほどのことなのだ。
アジアの「外」にいれば、自分の価値観を押しつけ相手を否定していくが、アジアの「内側」に入れば、まず同じアジアの一員としての信頼と連帯があるから、互いの違いを理解し、それを尊重することになる。かくして平和と友好を実現していくことができる。それゆえ、「脱亜」から入亜」に転換することがもっとも大切だと思う。とくに今、平和と友好の東北アジア新時代が開かれようとしている時代の要請となっている。
○日本の地位と役割が鍵
アジアの内側に入る「入亜」のためには、なによりもアジアの一員としての日本の自覚が鍵だと思う。日本の責任と役割は、侵略戦争を起こし戦争の悲惨さを体験した国民の願いを反映した「二度と戦争をしない平和国家」としての立ち位置ではないだろうか。
日本の地位と役割をアジアとともに生きる平和国家として考えた野中氏のような人々がいる一方、まったく正反対の安倍首相のような徹底してアメリカとの同盟を言い、アメリカの代理人としてアジア諸国に対する政治家も多い。それは、戦争の総括をどうおこない、戦後政治をどうみるかの違いの表れだと思う。
アメリカ頼みの外交の根本原因は、戦後の出発点を「アメリカに負けた」と総括し、アメリカに従って生きていくという生き方をとったからだ。 しかし、ほんとうに日本はアメリカに負けたのか? 日本が負けた最大の要因はアジア諸国人民の抵抗を受けて侵略戦争を続けることができなくなったということではないか。国と民族の自主性を守るための正義の戦いの前で、侵略と略奪をおこなう不正義の 日本が敗北したといえる。
なのに、日本はアメリカを「解放軍」かのように見立て、彼らが日本の上に君臨する正義の支配者かのように振る舞い、 今日まで日本の占領を実質的に続けるのを許してきた。この戦後総括をおこなってこそ、国と民族の自主性をとりもどし、アジアにおける日本の地位と役割を見いだしていくことができるのではないか。
それゆえ、平和と友好の東北アジア新時代に合流することは、日本人、日本民族としての自己を確立し、喪った自分自身を取り戻す問題だと思う。