小西隆裕
「朝中」「南北」、そして「朝米」、世界の耳目を集める一連の首脳外交は、朝鮮半島はもちろん、ほぼ確実に東北アジア全体にかつてない地殻変動を生み出すものだ。それは何か?それにより何が日本に提起されて来るか?この問題を離れて、日本の未来は語れないと思う。
■誰が「主役」、誰が「脇役」か?
昨年一年を通し、米国がその覇権力をかけて強め続けた制裁と圧力。それをはね除け強行された朝鮮による連続的な核とミサイル実験。
そして今年、一転して、連続的、多発的に繰り広げられる世人を驚かす積極的、能動的な外交戦の数々。
朝鮮のこの驚異的「変身」を見て、トランプは、「制裁が効いた」と喜び、対朝鮮外交戦の基本要求に「非核化」を押し出した。それに力を得たのが、この間「蚊帳の外」で疑心暗鬼していたわが安倍政権だ。「完全な非核化まで制裁を!」と声を高めている。
この外交戦にあって、一方の当事者である韓国は、朝米間の仲介役、裏方に徹していた。そこでは自らが当の主役である南北首脳会談に対しても、あくまでそれを朝米首脳会談の前座、前哨戦として位置づけ、自身は「非核化」実現への土台作りの役回りに甘んじていた。
そして行われた南北首脳会談。分断の象徴、板門店で、両首脳が手を携え分界線を越えて行き来する場面から始められたこの「会談」。それが持つ意味の大きさは、大方の予想をはるかに超えるものだった。
北と南、そして海外同胞まで含め、八千万を超える朝鮮民族の多くが、自らの民族としての血を改めて自覚し、長期にわたる分断状況の中、半ば諦めかけていた祖国統一の実現を実感した。これを見て、「今回の外交劇は、文在寅・脇役、トランプ・主役ではない。南北主役だ」と言う声が上ったのは決して偶然ではなかったと思う。
実際、今回の南北の首脳会談は、どう見ても「非核化」ではなく、「南北朝鮮の平和と繁栄、統一」のために行われた。その強烈な印象は、「非核化」を掲げる朝米の会談の方がむしろ、南北統一の実現を保証するための脇役になるのではとの感さえ抱かせるものだった。
■戦争と敵対から平和と友好の東北アジアへ
南北朝鮮の平和と繁栄、統一がもたらす意味は大きい。これまで戦争と敵対の朝鮮半島は、東北アジア、引いては世界の戦争と敵対の火種となりその根源の一つとなってきた。65年前、終結したはずの朝鮮戦争は、いまだ休戦協定のまま、平和協定は結ばれずにいる。さらに毎年、二次、場合によっては数次に渡り、繰り返されて来た米韓合同の大軍事演習。まさに一触即発の準戦時状況が半世紀をさらに十数年も超えて続けられてきた。
その間、朝鮮と米韓双方の軍事力は増強され続け、恐るべき水準にまで達している。一旦、戦端が切られたなら、朝鮮半島全域はもちろん、日本まで含め、その戦禍は、東北アジア全体に広がるものとなっている。
そうした中、昨年、朝鮮は、水爆とICBM「火星15」発射実験に成功し、「国家核武力完成」の宣言をするに至った。これは、米国全域を完全に射程に入れ、その全滅を可能にするものだ。米国はそれを、まだまだ未完成だと言いつのり否定している。しかし、その完成の事実とそれがもたらす恐ろしさを一番良く知っているのは、他でもない、米国自身なのではないだろうか。
もはや米国は、朝鮮相手に戦争することはできない。それは、双方の全滅を意味しているからだ。トランプが繰り返す「戦争の選択肢」は、単なる強弁、脅しのための脅しでしかない。もはや米国は、朝鮮戦争の終結宣言、平和協定締結の場に出て来るしか方法がなくなっている。それは、また、朝鮮半島に対する分断支配の終焉と南北の和解と融和、そして統一の実現に大きく道を開くものだ。「非核化」は、そうした事の本質を隠蔽するための覇権国家、米国の「面子」に過ぎない。
戦争と敵対から平和と友好へ。それは決して南北朝鮮だけに止まるものではない。日本と中国、ロシア、そしてこの地域への関与にこだわる米国まで含め、東北アジア全域、引いては世界にまで波及する歴史的大転換だと言うことができる。
■転換する米覇権のあり方と日米関係
平和と友好の東北アジア新時代に、覇権国家、米国はどう対しどう向き合おうとしているのか。
元来、国家間に戦争と敵対をつくり出して行う覇権には、平和と友好はなじまない。だから米国は、これまで65年の長期にわたり、東北アジアを戦争と敵対の中に落とし込めてきた。
しかし、そうしたやり方も、もはや限界に来ている。それは、核とミサイルをめぐるこの間の朝米の攻防に端的に現れていると思う。実際、米国にはもう打つ手がなくなっていた。今の米国の力をもってしては、あれ以上の制裁と圧力は不可能だ。その上での「国家核武力完成」の宣言と南北融和への動き、朝中首脳会談、そしてロシアやEU等々、続出する対朝鮮連携。勝負の帰趨は完全に決したと言える。
しかし、戦争と敵対の終結は、即、覇権の終焉ではない。歴史はいまだ、自ら覇権を放棄した覇権国家を知らない。そこで当然問題となるのは、戦争と敵対から平和と友好へ、時代の転換にともなう覇権のあり方の転換だ。
これまで、そうした例はいくらでもあった。かつてニクソン大統領の時、米国は、中国に対する敵対、封鎖から、一気に「友好」「改革開放」に打って出たではないか。だが、あれから半世紀近く。今、米覇権力の低下は著しい。その米国にとって、日本の軍事・経済力の動員は、一層切実な問題になっている。
「アメリカ・ファースト」のトランプ米国にとって、もともと日本の軍事・経済力を米国のそれに組み込み、「強いアメリカ」で覇権するのは、すでに織り込み済みだった。それが、今、平和と友好の東北アジア新時代にあって、さらに決定的な意味を持つようになっている。
■歴史の新時代、日本に問われていること
今日、日本においてもっとも切実に求められているのは、東北アジアに生まれている新しい時代の波とそれに対応する覇権国家、米国の動向、そしてそれらが日本にとって何を意味しているのか、事の本質を自分の頭でしっかりと認識、判断し、それに正しく対応して行くことだと思う。
それを、米国言いなりに、その笛に踊っている安倍政治に任せることができないのは言うまでもない。そのような政治からの根本的脱却、日本主体の政治こそが求められている。
平和と友好の東北アジア新時代は、決して一時的なものでも、朝鮮半島だけに限られた局地的なものでもない。そこには、時代を大きく広く動かし切り開いて行く力があると思う。
その力の源泉は、他でもない、大多数の人々の圧倒的な支持と賛同にこそある。戦争と敵対から平和と友好へ、この歴史的転換に反対する人はいない。南北朝鮮の人々だけではない。世界中、圧倒的多数の人々が先の南北首脳会談の劇的展開を喜び、それに賛意を表した。両首脳が直ちにノーベル平和賞候補の筆頭に押し上げられたのは、その一つの現れに過ぎないと思う。
トランプ米国が南北朝鮮の平和と友好に敢えて反対できず、それを「喜び」、「後押しする」姿勢を見せるのも、それが世界と米国の大多数の人々の意向に合っており、秋の中間選挙と自らの次期大統領選での勝利、ひいては米覇権の「強さ」を保証するものになるからに他ならない。
だが、先述したように、平和・友好と覇権はなじまない。それらは、本質的に矛盾している。
米覇権のための日米軍事一体化、共同戦争体制の構築は、東北アジアの平和構築とは全く異質、逆方向だし、経済も、朝鮮への経済浸透に向けた日米経済の一体化は、友好でも何でもない。日本経済の米国経済への組み込みそのものだ。
「平和」と「友好」を掲げた米覇権の新しいあり方、それを支える日米一体化が生み出す矛盾は、軍事や経済だけに止まらない。あらゆる分野、領域にわたる日本の米国への組み込みがもたらす矛盾、それは、それぞれの部門、領域、ひいては日本全体の、利益、国益、さらには主権をかけた対決戦として噴出して行かずにはおれないだろう。
米覇権の下で、アジアに覇権してきた「脱亜入欧」の歴史に終止符を打つ時が来た。東北アジア新時代が日本の前に提起している課題は、まさにこのことではないだろうか。