「自分の国が好きだ」という感情を貴重に思うことから-HINOMARU」論争を見て思ったこと

魚本公博

サッカーW杯、日本は惜しくも8強は逃したが大いに盛り上がった。

ところで、このW杯中継のテーマ曲でフジテレビが採用した人気バンドRADWIMPSの「カタルシス」のカップリング曲「HINOMARU」を巡りネット上で論争が起きたことをもって、宮島みつるという人が論じている文章を見た。

この論争は、「HINOMARU」の歌詞が「風にたなびく あの旗に 古よりはためく旗に 意味もなく懐かしくなり こみ上げる この気持ちはなに 胸に手をあて見上げれば 高なる血潮誇り高く この身体に流れゆくは 気高き御国の御霊(みたま) さあ行かん 日出る国の 御名の下に」(一番)というように、右翼的、軍国主義的だとして批判が起きたことに始まる。

それに対して、ボーカルの野田洋次郎さんが自身のブログを通じて「そのように受け取られた」ことを謝罪しつつ、「純粋に何の思想的意味も右も左もなく、この国のことを歌いたいと思いました」「自分が生まれた国をちゃんと好きでありたいと思っています。好きと言える自分でいたいし、言える国であってほしいと思っています」と釈明。

これを契機に、ネトウヨの人たちが「自分の国が好きで何が悪い」とネット上で騒いだというのが、この騒動の核心。

宮島さんは、こうした状況は、2002年の日韓W杯を契機にネトウヨが台頭したことを想起させるものであり、今回のW杯でも同様のことが起きるのではないかと危惧し、「『自分の生まれた国が好きだ』という素朴な感情が歴史修正主義や戦前の軍国主義、ヘイトスピーチに転化する回路がどこにあるのか、それをどう断つのか。それを真剣に考えない限り、それこそ右も左もない普通の人の想いとして、今回のW杯以降さらに広がっていくことだろう」と問題提起しているわけである。

宮島さんは、ここで、「回路をどう断つのか」について具体的には言及していないが、こうした問題意識を持つ人は一般的に「過去の軍国主義などがいかに人々に不孝をもたらすものであったかをねばり強く説得しなければならない」というように主張する。

確かに、それも大事だ。しかし、それは結局、右と左の論争ということになり、対立を煽るという結果しかもたらさないのではないか。そればかりではない。「自分の生まれた国が好きだ」という感情は、誰もが持つ「素朴な感情」」であるだけに、そうした論争を見る「普通の人」は、どちらかと言うと、右翼的な方に惹かれていくと思う。

そういう意味で、ボーカルの野田さんの「右も左もなく、この国のことを歌いたいと思う」というのは正しいし、「好きと言える国であって欲しいと思っています」に至っては、諸手を挙げて賛成する。

私は、この問題のカギは「自分が生まれた国が好きだ」という普通の人が誰でも持つ感情をどう見るかにあると思う。宮島さんは、それを「素朴」として、「何も分かってない」というように見ていると思う。そして、「歴史や伝統に対する知識もなく、国家についてまともに考えたこともないくせに」などとさえ言う、そういう上から目線。

大事なことは、「普通の人」の「素朴な感情」を低俗なものと見てはならないのであり、それを「普通の人」(すなわち大部分の国民全体)の考えとして貴重に思い思考を進めることではないか。そして「(皆が)好きと言える国」になる」ためにはどうすればいいのか。それをこそ考えるべきではないのかと思う。

回路を断つのではなく回路を結ぶ。そうしてこそ、真にネトウヨ台頭の「回路を断つ」こともできるのではないのだろうか。