【今月の視点】朝米新時代と日本

小西隆裕

6月12日、シンガポール。全世界注視の下、史上初の朝米首脳会談が行われた。
これを、日本としてはどうとらえ、そこから生まれる現実にいかに対処するか?それは、すぐれて日本自身のあり方に関わる問題だと思う。

■どう評価するか、朝米首脳会談
今、会談への評価はまちまちだ。会談の開催自体については、全世界、皆概ね歓迎している。問題にされているのは、出されてきた共同声明だ。驚くほど少ない文言。「新たな朝米関係の樹立。永続的で強固な平和体制の構築。朝鮮半島の非核化の実現。そして朝鮮戦争での遺骨の返還」、この4項目が目標として挙げられただけだった。「非核化」については、そのための具体的道筋など一切なし。「こんなに弱い共同声明は見たことがない」。米国のメディアでは、トランプへの批判続出だった。加えて記者会見で語られた「米韓合同軍事演習の中止」発言。これでは、「朝鮮の一人勝ち」ということになる。

だが、そうした中、会談への肯定的評価も出てきている。文言の数の多さで「共同声明」の価値が決まる訳ではない。互いに本気ならば、文言など最低限でよい。今回の場合、両首脳がお互いの「本気」を感じ信頼したのでは?トランプの記者会見でのあの「高揚」「興奮」は、その現れだ。外交交渉は、「信頼と検証」。今回、米国が表明した直近の措置、「米韓合同軍事演習の無期限中止」は、朝鮮にその検証を迫るものだ。

こうしてみた時、「朝鮮半島の非核化」は、もう始まっている。もちろん、いくらCVID(完全かつ検証可能、不可逆的な非核化)と言っても限度がある。万余の関連科学者、技術者の海外移住、関連知識、技術すべての消滅などできる訳がない。そこには自ずと相互が認める何らかの合意点が生まれてくるものだ。

「非核化」が一定程度進めば、それに応じ、「平和協定」「国交正常化」がやられ、朝米関係は、戦争と敵視の関係から、平和と友好、繁栄の新しい関係へと転換する。今回の朝米首脳会談がこの朝米新時代への出発点となるのは、まさにそれ故だ。

■朝米新時代の意味を問う
史上初の朝米首脳会談が生み出した新しい時代、朝米新時代。では一体、この「新時代」は、どのような時代になるだろうか。そこで考慮すべきことがいくつかある。

全世界の注目を集めて開かれた今回の首脳会談で、識者、政治家たちを驚かせたのは、まず、会談の場が朝米対等に設えられていたことのようだ。GDPにして1100倍の差のある両国の国旗が交互に対等に立てられ、会議場の配置もすべて対等だった。

さらに一層驚かされたのが「非核化」の方法だ。米国が言う「CVID」以外の方法があり得るのか。朝鮮提案の「段階的、同時行動原則」などもっての外だ。大概の識者、政治家、マスメディアはそう思っていた。ところが、こうした道筋、方法に関する言及はまったくなかった。その上、彼ら、識者たちが口を揃えてあり得ないと言っていた米韓合同軍事演習の無期限中止までがトランプだけでなく、その後、米国政府からも発表された。米国はやる。次は朝鮮の番だ。「非核化」もすべて対等、段階的、同歩的にということだ。

その上米国は、こういう方法での「非核化」さえ完全にできるとは考えていないようだ。CVIDなど「非核化」の具体的道筋を明記しなかったのもさることながら、その理由をトランプは、「時間がなかったから」とさらりと言ってのけた。まさにここに、そのことが物語られているのではないだろうか。

これは一体何を意味するのか。米国は、覇権国家としての地位も権威もすべてかなぐり捨て、朝鮮を核保有国として認め、互いに対等に生きようと言うのか。それが来るべき朝米新時代の姿だと言うのか。

■到来した朝米対決戦の新段階
朝鮮半島における米覇権戦略の転換は、朝鮮による核・ミサイル開発が米本土全域を水爆攻撃の射程に入れた昨年末の国家核武力完成をもって、決定的になったと言える。これで米国は朝鮮と戦争できなくなったという朝鮮側の主張は、決して誇大妄想な虚言ではないと思う。

一方、平昌オリンピックを契機に開始された朝鮮のめざましい外交攻勢は、明らかに韓国における文在寅政権の存在を離れては考えられない。昨年、あの「ろうそく革命」から生まれたこの政権の志向と力は、米国言いなりだったこれまでの政権とは大きく異なっている。

「核」と「ろうそく革命」、この二つの力に突き動かされて、米トランプ政権の朝米首脳会談に向けた活動が始められた。ここに事の真相があるのではないだろうか。金正恩委員長の朝米首脳会談への呼びかけを伝えた韓国の大統領特使に即席で会談受諾を表明したトランプ大統領の一見軽率に見える行動も、こうして見ると、決して一時的な思いつきなどではなかったように思う。

事実、先の首脳会談で重ね合わされた朝米双方の思惑には、それぞれまったく相異なる戦略的企図が込められているように思われる。朝鮮には、南北の和解と協力により互いの平和と繁栄、統一への念願をかなえようとする戦略があり、米国には、朝鮮との和解を通して朝鮮経済への浸透とその「改革開放」(資本主義化)を図り、それに基礎して朝鮮半島、ひいては北東アジア全域に対する米覇権を再構築する戦略があるように見える。この互いに相異なり対立する戦略を、平和と友好、繁栄の新しい朝米関係、恒久的で強固な平和体制の下、互いに競い合い闘って、その決着をつけていこうというのが来るべき「朝米新時代」の実相ではないだろうか。

この闘いにあって、「非核化」はいかなる意味を持つのだろうか。それを、この朝米双方の戦略を実現する闘いの場をつくり出すための触媒のようなものだと言えば、言い過ぎであろうか。

何はともあれ、「新時代」の朝米対決戦は、今、新しい段階を迎えている。その主戦場は、「非核化」ではない。一つは「経済」、もう一つは「統一」であり、最後の一つは「外交」ではないか。

■朝米「新段階」、日本はそれにどう対するか
今日、米覇権戦略は完全に行き詰まっている。前代から受け継いだグローバル覇権の破綻に加えて、「アメリカ・ファースト」を掲げての新覇権戦略もその本質的矛盾に逢着している。最終的敗退局面に入ったシリアやアフガン。自由貿易に敵対する「保護主義」として、全世界的な糾弾の対象となっているその対外経済戦略。

この米覇権崩壊の最終的局面にあって、朝米対決戦の新段階は何を意味しているか。社会主義経済建設と南北統一、そして脱覇権自主勢力との国際的連携・協力をめぐる朝米の攻防は、世界的な覇権か自主かの攻防の重要な環となる闘いだ。

これまで日本は、朝米対決の「蚊帳の外」に置かれてきた。しかし、その新段階の構図が決まってきた今、米覇権の補完勢力として、その前面に立てられようとしている。トランプの日朝関係、拉致問題への関心の高さは、まさにそのためだ。

日本のカネを当てにしているのは、誰よりも米国であり、日本を北東アジア軍事攻防の最前線に立てようとしているのも米国だ。

日本の国のかたち、あり方はすでに変わってきている。軍事だけではない。経済も完全に米国経済に組み込まれてきている。トランプが日本経済を朝鮮経済への自らの浸透のため動員しようとしているのは、根拠のあることなのだ。

日本は、またしても朝鮮との関係で、自らのあり方の根本を問われてきている。明治維新後、脱亜入欧に踏み切った時もそうだったし、戦後、朝鮮戦争の時にもそうだった。その都度日本は、欧米を背に負い、アジアに敵対する道を選んできた。それが日本にとってどうだったか。今こそ、深く思いを致す時がきているのではないだろうか。

今日、朝米対決の新段階にあって、日本に突きつけられてきている条件は、かつてなく厳しい。何よりも、米覇権は、かつての「黒船」ではない。沈没を目の前にした「泥船」だ。さらにもう一つ、朝鮮もアジアも、かつての立ち遅れ、「悪友」と呼ばれた朝鮮、アジアではない。それは、この間の朝米の攻防が雄弁に物語っているのではないか。

そうした中、何よりも求められているのは、われわれ自身が、日本人として、欧米など外からではなく、日本の中、アジアの中、世界の中から、日本とアジア、世界を見、それに対することではないだろうか。そこにこそ、朝米対決の新段階にあって、現実の要求に応え、日本のあり方を根本から見直して行く道があると思う。