「勝つため」の戦略的思考を

魚本公博

W杯,日本は8強入りを目前にしながらの惜敗、残念でした。私的には、2点先取の時点で、「守りを固める」という選択肢もあったと思いますが、ポーランド戦での「ボール回し」を批判された西野監督としては「躊躇」せざるを得なかったのでしょうか。選手も含めて、この「躊躇」「どっちつかず」が命取りになったのではないかと思います。

日本の「戦いの美学」、とりわけ「散り際の美学」。常々、この日本的「美意識」が日本サッカーの弱点だと思うことの多かった私としては、ポーランド戦での西野監督の決断を好意的にみていただけに、それに徹し切れなかったのではと複雑な気持ちです。

日本では、果敢に攻め、醜く勝つくらいなら美しく散った方がよいという「散り際の美学」が賞賛されます。ところが、朝鮮では、「散り際の美学」のような話しは聞きません。

日本は国内戦であり、職業軍人である侍だけの戦いなので、一人の侍としての勇敢・忠義さを示し、卑怯な振る舞いをするなとして、「名こそ惜しめ」「美しく散れ」という価値観が重視されたのでしょう。

一方、朝鮮は主に外からの侵略に対する戦争であり、負ければ国土全体、民族全体が壊滅的被害を受けるのであり、絶対負けられないものとして、知略を駆使し石にかじりついても勝つということに価値観があったのではないかと思います。

勿論、朝鮮でも個人や小集団が全体のために自己犠牲になることについては賞賛されます。日本の「散り際の美学」もそうした「自己犠牲」の側面をもっており、そこが人々を引きつけるのでしょうし、私も惹かれます。

しかし、それが「勝つ」よりも「滅ぶ」ことを美化するようなものになってしまうことには反対です。とりわけ、世界の情勢は激変し、日本という国、民族として、「勝つために」「生き残る」ために知略を駆使しなければならない時に、日本的な「戦いの美学」「散り際の美学」の悪い面が影響しないか心すべきだと思います。

今回のW杯を契機に、「勝つために」「生き残るために」知略を尽くし、その中に日本的「美学」も包括し活かす、そうした思考方式が強まることを期待しています。