日本が追求すべき「国際化」

森順子

「うちの子は一歳児、英語塾デビューを果たしました」と、あるお母さんからの喜びメールに、「わー、すごーい、すばらしい!」というラジオでのやりとり。一方、小学校ではさらに英語教育時間を増やし、英語だけは専任教員をつけるための予算がつき、英語を除く全教科を担任の先生が教えている実態。今やこの英語熱は英語一強時代、英語の世紀とまで言われています。

しかし、英語を勉強しなきゃいけない翻訳者、通訳、外交官や研究者の人たちなどは、1%ぐらいの数がいればいいそうです。それに、遅くとも10年以内には100%の確立で、スマートフォンに外国語の音声翻訳機能が付くと、AI専門家は言います。そうなると、これから小学校で英語教育を受ける世代が大学を卒業する頃には、すでにその種の機能があらゆるスマホに備わっているから、ますます、英語を教える必要はなくなるわけです。

1885年(明治18)初代文部大臣になる森有礼は、こんなことまで言っています。
そもそも、日本語では文明開化を図ることはできない。よって日本語を廃止して英語を採用する。・・・又日本を文明開化の域に進むには、日本語の廃止だけでは十分でない。まず日本人種を改良せざるを得ない。故に日本人は将来欧米人と雑婚する必要がある、と。

福沢諭吉は学術も経済も法律も欧米に及ばないと嘆いたといいます。こうして「脱亜入欧」という結論の下、日本の国際化は、「欧米化」として邁進してきました。そして、教育における今日の「欧米化」は、「英語とプログラム言語を覚えたら世界で通用する」教育に特化され、その表れが英語熱や小学校からの英語教育です。だが、何よりも大事なのは、英語をどう話すかより、私たち日本人が英語で何を話すかということであり、「何を話すか」は結局、母国語である日本語で鍛えられるものだということです。

しかも現代は、グローバル化がますます進むなかで、英語だけを勉強すればいいという時代ではなくなっています。日本にこれだけたくさんの外国人が来るようになると中国語、東南アジアの言葉とか、となるでしょう。また、地理的に遠く、それほど外国語教育に力をいれていないアメリカでさえも日本より多くの学生を中国の大学に送り出しており、日本の国際化がいまだ圧倒的に英語圏に傾いている中で、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ヨーロッパはすでに東アジアとりわけ中国に関心を注いでいます。

このような時代の流れは、今、繰り広げられようとしている平和と友好の新しい東北アジアの動きに示されています。それは、これまで「欧米化」一辺倒の「国際化」に集中してきた日本に、あくまでアジアの一員として世界に対応することが求められているからです。日本は欧米の一員ではなく、アジアの一員です。だからまず、アジアの一員として協力関係を拡大していくことが本当の意味で日本の「国際化」につながるのではないでしょうか。

明治時代、福沢諭吉は日本人に「脱亜入欧」を説いたが、アジアの世紀がひらけてきている今、欧米側の考え方はもはや適切だとは思えません。「脱亜入欧」がもたらした日本の「欧米化」は、もう、卒業するときが来たのではないでしょうか。(了)