若林盛亮
■朝鮮半島の緊張緩和を「由々しき事態」とみる日米安保基軸の防衛路線
朝鮮半島を震源地とする東北アジア新時代の地殻変動は、日本の安保環境の激変を生む。
朝鮮戦争の終結宣言、ひいては朝米間で平和協定が締結されれば、長年、持続してきた戦争状態に終止符が打たれ、一触即発の熱戦地域、軍事境界線が消滅し、朝鮮半島の緊張緩和と南北融和が一気に進み、東北アジアが熱戦の危険地帯から平和地帯に変わる。
これは日本の安全と平和にとって好ましい環境が生まれることのはずだ。ところが日本政府の採る安保防衛路線からすれば、これを「由々しき事態」とみるという真逆の見方になる。
ピョンチャン冬季5輪以降の韓国と朝鮮の対話の動きに対し、中谷元防衛大臣は「軍事境界線は北朝鮮軍と国連軍(米軍)が対決しているところなのに韓国が勝手に(北朝鮮と)融和するような真似をしてはいけないんです」という主旨の発言をした。日米韓の「防衛線」である軍事境界線を消滅(南北朝鮮の融和)させるようなことをしてはいけないとの発言だ。
もし朝鮮半島での戦争状態終結で軍事境界線がなくなり、在韓米軍の縮小や撤収という事態になるならば、「今後、在日米軍と自衛隊が東アジアの最前線に立つ可能性もある」との危惧まで論議されている。
最近の「米韓合同軍事演習の中止」決定に「日本の抑止力を弱めることになる」と誰より反発したのがわが国の小野寺防衛大臣だ。原子力空母3隻動員など最大規模とされた昨年の米韓合同軍事演習の際は、一触即発の危機、日本に戦禍の及ぶ現実の危険として国民の大きな不安を呼んだ。
国民からすれば、そういった不安から解放されるという歓迎すべきことなのに、「日本の抑止力を弱める」問題として防衛大臣が反対する。では「日本の抑止力」とはいったい何のためのものなのか? 防衛大臣は日本の何を守る防衛大臣なのか?
■「利益線の防護」に東北アジアが破綻を宣告
元陸上自衛隊幕僚長、富澤暉氏の著書「逆説の軍事論」にその回答がある。
「現代の軍事的な観点からいえば、主権は今も昔も自国の軍隊が守るもの(主権線の防護)です。一方、利益線の防護に関していえば(これは第二次世界大戦を引き起こした要因でもあったわけですが)、どの国の利益線も常に他国の利益線と重複しています。
したがって、もはや一国で守るものではなく他国と協力した共同防衛、集団安全保障の形で守らざるを得ないというのが現在の安全保障に関する考え方の主流になっています」
防衛思想としての「主権線の防護」、これは国土、国民を守る本来の意味での自衛の思想であるが、「利益線の防護」という防衛思想、これはマラッカ海峡などシーレーン防衛や中東石油資源確保など「海外権益の保護」を目的とする防衛思想だ。
わが国の場合、「利益線の防護」のための日米安保基軸の集団安全保障が防衛の基本方針となっている。
日米安保は日本の主権や国土、国民を守る「主権線の防護」のためのものではない。それは日米共同の「利益線の防護」、米中心の国際秩序維持のためのものだ。
「戦後日本の繁栄」の代名詞とされるいわゆる吉田ドクトリン、「軽武装と経済至上主義」、それは「核の傘」をはじめ強大な米軍事力に日本の「利益線」である米中心の国際秩序の「防護」を託すことによって支えられた「繁栄」だったと言える。
この「利益線の防護」を保障する軍事が抑止力論だ。
抑止力とは、「攻撃を拒否し報復する能力と意思を相手に認識させることによって、攻撃を思いとどまらせること」だと定義されている。この公式的定義を意訳すれば、「相手を威嚇、屈服させる脅威力」、それが抑止力の本質だ。日本が供与を受ける米軍の「核の傘」、それは朝鮮からすれば「核戦争の脅威」として機能している。
戦後日本の「利益線の防護」のための軍事、抑止力を担うのは、日米安保、米軍であり、自衛隊ではない。憲法9条「交戦権否認、戦力不保持」の縛りを受ける自衛隊は「報復する能力と意思」を持っていないからだ。だから「利益線の防護」という基本方針を採る限り、日本の防衛路線は日米安保基軸・米軍依存以外にありえない。これが「利益線の防護」思想とそれを保障する軍事、「抑止力」論の帰結だ。
日本の元防衛大臣が朝鮮半島の軍事境界線消滅につながるような南北融和に危惧を表明し、現職防衛大臣が米韓合同軍事演習中止に反対するのは、これらのことが「利益線の防護」、日米安保基軸の防衛を破綻させかねないものだからだ。
しかしいまや朝鮮半島の軍事境界線も在韓米軍も「抑止力」の役割を終える時代に入った。このことは米中心の国際秩序維持のための防衛、「利益線の防護」が東北アジアで破綻宣告を受けたのだと受け止めるべきではないだろうか。
■「主権線の防護」に徹する「9条自衛の日本」が東北アジア新時代の先駆けに!
「利益線の防護」という防衛思想は、平和と繁栄、友好の東北アジア新時代の発展を阻害するものとして排撃されねばならないことは、すでに朝鮮半島で実証されつつあることだ。
かつて大日本帝国は、「満蒙は生命線」であるとし、「利益線の防護」のためと称し満州鉄道沿線警備名目の関東軍を派遣し、その関東軍が国民党軍に襲撃されたとして満州事変を起こし傀儡満州国を設立、さらには中国本土に侵略の魔手を拡大、ついには英米「利益線」(植民地拡大)との衝突から戦争に突入した。「利益線の防護」は防衛線を自国領土外に拡大するがゆえに、必然的に利益線をめぐる覇権抗争を呼び、敵対と戦争を同伴する。これがわが国近代史の教訓だ。
かつて日本や欧米列強による植民地獲得という「利益線」をめぐる覇権抗争にさらされた東南アジア諸国連合(ASEAN)は、東アジア共同体設立に当たって、主権尊重、内政不干渉を基本原則とした。主権尊重、内政不干渉の基本原則は、地域諸国が敵対と戦争の要因を排撃し、真の平和と繁栄、友好の新たな時代を開く礎石であると言える。
平和と繁栄、友好の東北アジア新時代参画に当たって、わが国には「利益線の防護」という敵対と戦争の時代の安保防衛路線から、主権尊重、内政不干渉に徹した防衛路線への転換を図ることが求められるだろう。
したがって日本の安保防衛は、「利益線の防護」基軸ではなく「主権線の防護」基軸に、自国の主権への侵害を許さない、また他国の主権も侵害しない、そのような主権尊重、内政不干渉に徹した防衛を基本方針とすべきであろう。
「主権線の防護」基軸のわが国の防衛路線、それは9条自衛基軸の防衛を貫くことだ。
「交戦権否認、戦力不保持」の憲法9条に基づく自衛は、自国への主権侵害を許さず、他国の主権侵害もしない、まさに「主権線の防護」に徹した自衛路線であると言える。
一般に専守防衛と言われるものだが、自国の領土、領海、領空への侵害には撃退で対する、しかし報復のため相手国と交戦状態になることはしない、すなわち報復攻撃はしない、そのような徹底した「主権線の防護」、自衛に徹した防衛路線だ。
「交戦権否認、戦力不保持」の自衛は、国際的に認められた自衛戦争、自衛のための相手国への報復攻撃をも自ら禁じた自衛路線だ。侵略戦争はすべて自衛の名によって行われる。「共産主義の脅威から守る」としてベトナム戦争が行われ、「テロの脅威から守る」としてアフガン、やイラクへの反テロ戦争が行われた。わが国はかつてアジアと世界に戦争の惨禍を及ぼした歴史を総括し、「交戦権否認」として「自衛」の名による戦争を自身に禁じた。
自国の主権を守ると同時に他国への主権侵害行為を禁じた9条自衛、自衛の名による戦争をも禁じる自衛は、まさに東北アジアを敵対と戦争のない平和地帯を築く先駆けとなる防衛路線となる。
次に日米安保を憲法9条を基軸に見直す。いますぐ条約破棄はできずとも、日本を他国との交戦基地、出撃基地にすることを禁じるなど日米地位協定を日本の主権、9条の縛りをかけられるものに改定すべきだ。文在寅政権は韓国政府の承認なしに戦争を起こさせないと米国に通告した。この程度のことはやれるはずだし、やらねばならない。
主権尊重、主権侵害否定の非戦地帯、平和地帯構築のための東北アジア集団安保構想も必要になるだろう。
日本の9条自衛が新時代の東北アジア平和地帯構築の先駆けとなるべきだと思う。