侵略された側の国民感情を自らのものとしてこそ

魚本公博

先にWCロシア大会でフジテレビが採用したRADWIMPSの「カタルシス」のカップリング曲「HINOMARU」を巡ってネット上で起きた論争について議論提起しましたが、これが韓国にも飛び火しています。RADWIMPSの韓国公演で予約の売れ行きが低調でキャンセルも続いているという記事(公演は8月5日で結果は知りません)。

その理由は歌詞が右翼的だということ。「風にたなびく あの旗に 古よりはためく旗に 意味もなく懐かしくなり こみ上げる この気持ちはなに 胸に手をあて見上げれば 高なる血潮誇り高く この身体に流れゆくは 気高き御国の御霊(みたま) さあ行かん 日出る国の 御名の下に」(一番)。

こうした歌詞に韓国の人が反発したわけです。韓国の音楽評論家ファン・ソンオプさんが、過去にも日本のアーティストが歴史認識の不在を示すケースがたびたびあったとし、「アジアの国、相手にグローバル・プロモーションを行うなら、こうした歌が戦争被害国でどう受け取られるか考えるべきだった」と述べています。

これは結局、歴史認識の問題だと言えます。これまで歴史認識の問題は、主に政府間の問題として取り扱われ、それに伴う領土問題、慰安婦問題、徴用工問題などなどが問題にされてきました。

しかし、今回は、そういう政治レベルではなく一般庶民(国民)の感情問題として出されていることに注目する必要があると思います。政府間での問題では一種他人事という側面があったと思いますが、今回の問題は、国民が自分自身の問題として考えなければならないものとして提起されたのではないかと思うからです。

そこで浮き彫りになっているのは「侵略」。政府間の場合は、この侵略を巡って、イヤ、ちゃんと当時の韓国政府との合意で行ったものだとか、ああでもない、こうでもないという言いわけがましいことが言われてきましたが、国民レベルでは、そういうことは通じないということではないでしょうか。

すなわち韓国民、とりわけRADWINPSのファンでさえもが、その歌詞を見て、納得いかないものを感じ反発したということ。この反応を見て、おそらくRADWIMPSの人たちも当惑したと思います。当惑しつつも思い当たる節はあるといったところでしょうか。

このように考えると、歴史認識問題を政府間レベルではなく、国民レベルで考えれば、正しい結論が得られるのではないかと思います。

これから東北アジアでは、「平和と友好・繁栄の東北アジア新時代」が展開されます。ここで大事なのは、日本は、過去のアジア侵略を悪として認め、もう二度とそういう道は進まないということを国是にしてアジア諸国と付き合うということを外交の基本線として打ち出さなければならず、それを無視しては相手にもされないということです。

そして、それは国民レベルでは「思いは同じ」となるということです。「二度と過ちは犯しません」という日本国民の反戦平和への願い。それは「侵略は悪」という歴史認識が根底にあります。それを国民のもの、より強固なものにすること。そのためにもアジア諸国の声に耳を傾け、そこから主体的に自己の歴史を掘り下げる、そうした態度と営為が求められていると思います。