BS朝日の「反安倍の石破擁護」姿勢は、石破の「9条改憲論」を煽るもの!?

若林盛亮

BS朝日の日曜日番組「激論・クロスファイア」は田原総一郎の刺激的な司会で有名な討論番組だ。

先週8月25日は自民党総裁選出馬の石破茂に「反安倍」の決意と論点を引き出すという主旨だった。

だが私はこの番組を見て正直、唖然とした。「護憲の朝日」はいつから9条改憲を煽るようになったのか!? と。

以下は私が「BS朝日はおかしい」と考えた理由だ。
第一は、「専守防衛=戦わないこと」と決めつけた上で、9条の縛りを受ける専守防衛論を見直して、 石破の持論「交戦権を認めよ、『9条二項交戦権否認』の削除」を煽る論議に持っていったことだ。

司会の田原氏はまず、「専守防衛」を非難しまくった。
「専守防衛とは、終戦間際の軍部の本土決戦論と同じことだ」と断定したうえで、専守防衛とは本土決戦論のように「百万以上の国民が犠牲になってもいいということなのだ」と決めつけた。

そしてさらに、このような専守防衛の理解をかつて中曽根元首相・元防衛庁長官に質したら、「その通りだ」と彼が肯定したとしながら、「だから(百万の国民が犠牲になるから)専守防衛とは戦わないということなんだ」という中曽根元首相の持論で締めくくった。
田原氏の導いた結論は、「専守防衛=戦わないこと」だ。

次に番組が取り上げたのが、「交戦権を認めよ、『9条二項・交戦権否認』の削除」という石破改憲論の核心だった。石破の持論は「交戦権のない自衛権はない」だ。

ここから言える結論は、交戦権を持たない日本は自衛権すらない国なのだということだが、結局このことを言いたかったのかと思ってしまう。

番組では「交戦権とは戦争のルールづくり、ルールのない戦争って恐ろしいことだ」という石破式の「交戦権解釈」を紹介したが、こちらでは交戦権を持っていないことの方が危険なのだと言いたいのか?

憲法9条がいう交戦権否認は、相手国に攻め込み国家間の交戦状態、戦争をもたらすような攻撃能力を持たず、専ら自国の領海、領空、領土の防衛に徹する、すなわち専守防衛に徹するということが、真意図だ。

この専守防衛を奇襲的な真珠湾攻撃をやったあげく米国との戦争を招き米軍の日本本土攻撃を受けるようになって苦し紛れに軍部が出した「本土決戦」論と同列に論じるのはいかがなものか?

正面からの本質論議を避け、こんなこじつけ的な暴論を根拠に、憲法9条二項の「交戦権否認」、そこから導き出される専守防衛論がいかにおかしい、不当なものかという石破の主張に田原氏も大阪朝日の社会部部長も「そりゃそうだ」式に無批判に同調した。ジャーナリストとしての識見が疑われる。

そして第二は、現時点で、専守防衛を疑問視し、石破の9条改憲論に同調するのはとても危険なことではないかということだ。これがもっと重要なことだ。

年初に安倍首相は、「専守防衛の見直し」と「敵基地攻撃能力(交戦能力)の保有」を今年度末に採択する新防衛大綱に書き込むと明言した(これを盛り込むか否かは今、有識者懇談会で議論中)。

すでにこれらのことは、既成事実として推進されつつある。日本海から平壌に届く900km射程の巡航ミサイルや垂直離着陸型ステルス戦闘爆撃機F35-Bの購入決定、この垂直離着陸戦闘爆撃機を積載可能にする小型航空母艦の建造(「ヘリポート付き護衛艦の改造」としている)がそれだ。これら自衛隊の新装備自体が、「敵基地攻撃能力保有」であり「専守防衛の見直し=交戦権容認」そのものだ。

さらに危険なのは、南北、朝米首脳会談によって生まれた東北アジアの安保環境の激変、緊張緩和、平和への移行に逆行する以下のような石破の主張だ。

朝鮮戦争の終結を宣言し休戦協定を平和協定に換えたら、朝鮮半島から米軍撤収あるいは縮小となり、パワーバランスを保つためには日本がアジアの最前線に立つことになる。

この安保環境変化によって日本の安保防衛政策を根本から見直さねばならない時が来る。専守防衛の見直し、9条二項交戦権否認の見直し、一言でいって9条改憲、日米安保強化で米国と共に戦争のできる日本、アジアの最前線に立つ日本にすること。これが東北アジア新時代到来という事態に対する石破の方策だ。

BS朝日の「激論」での田原氏らの石破擁護姿勢、「専守防衛=戦わない」こと、「交戦権のない自衛権はない」への同調は、東北アジア新時代の日本をこんな日本にすることへの同調ではないのか!?