ジェノサイドのおそろしさ

小西隆裕

朝鮮の東海岸へ海水浴に行った。三泊四日。中一日は雨。そこで読んだ本がある。「石原吉郎セレクション」。

本の冒頭で石原さんは、「ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、ひとりひとりの死がないということが、私にはおそろしいのだ」と書いていた。
「人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ」。

石原氏の主張を読みながら思ったのは、われわれのHJの総括だ。われわれは、われわれが行ったHJを「人を犠牲にする大義に大義はない」と総括した。

HJを企図し行った時、乗客や乗務員の皆さんにかける精神的、肉体的苦痛について、私たちは何も考えなかった。頭にあったのは、自分たちの「革命」だけだった。

「人民のため」と言いながら、自分の生活と活動で相対するひとりひとりを大切にしない「革命」は、真に人民のために服務するものには決してならない。

人民の中、集団の中にひとりひとりを見て思い、そのひとりひとりの思いを大切に、それに応えて生き闘う、私たちの原点を思い起こさせてもらった夏だった。