「Champ Clair=思案に暮れる」を素敵と言う「高野悦子」さんに

若林盛亮

先月の「辻村観月『かがみの孤城』と私の“Enter The Mirror”」への感想メッセージ、ありがとうございます。

文中に京都のジャズ喫茶Champ Clair「しあんくれ~る」が出てきたのには「ビックリ」とのことですが、貴女にとって「しあんくれ~る」はどんなChamp(場)なのでしょう。ハンドルネームに「高野悦子」を名乗られるところを見ると、「しあんくれ~る」が頻繁に登場する「二十歳の原点」の高野悦子さんをこよなく愛される方と推察いたします。

「思案に暮れる」という「しあんくれ~る」マスターの意味づけが「とっても素敵」と貴女は仰いました。私も同感です。当時は「“しゃんくれ”で待ってる」とか仲間内では通称“しゃんくれ”でしたが、「思案に暮れる」Champ(場)だという実感はあったように思います。別にマスターから聞いたわけではありませんが・・・

店には心底ジャズ好きという客とジャズの洪水に身を浸す客、ほぼこの二種類の客がいたと思います。前者は純粋にジャズを音楽として楽しみ聴くことが目的の人種、後者はジャズの洪水に身を浸すことで日常世界を遮断し「思案に暮れる」人種。私は後者に属します。

二十歳の高野さんもそうだったのだろうと思います。

私の場合、進学校での“長髪”挑戦、「優等生からのドロップアウト」の次の一歩を暗中模索の「思案に暮れる」日々、“Enter The Mirror”-ドアをくぐればそこは昼間の世界から遮断された夜の別世界! それが「しあんくれ~る」だったかなと・・・。

「出版社だとかへの就職しか念頭にない」立命文学部クラスへの幻滅からドロップアウト同伴者となった「小説家志望の詩人」、知り合いのいる劇団への入団を斡旋した現状脱却願望の在日の若者トントン、二部の民青に学生会館を追われて夜の避難場所を求め来ていたペドロ君ら立命全共闘の面々、ドラッグと「色即是空」禅の世界を私に教えた東京からのヒッピー、そして革命バンド「裸のラリーズ」草創期の“熱”を共にした水谷孝、中村武志・・・

皆が皆、ベトナム戦争と同時進行の万博開催という高度経済成長下の昼間のニッポンにシラケにシラケ、さて自分はどこに行くべきか「思案に暮れる」Champ(場)、「しあんくれ~る」に集まったのです。

「二十歳の原点」の1969年1月から6月末の時期、私は年初の東大安田講堂バリケード守護戦で逮捕、起訴され、同年9月末まで拘置所収監中の身、「しあんくれ~る」で高野悦子さんの二十歳の人生とクロスすることはありませんでした。

人間いかに生きるべきか、そう簡単に答えが出るものじゃない、ならば人生には一歩引いて「思案に暮れる」時期も必要ではないでしょうか。そんな時期にある人たちにChamp(場)を提供した「しあんくれ~る」に私は感謝しています。高野悦子さんにとってはどうだったのか? それはご本人にしかわからないことだと思います。

ハンドルネーム「高野悦子」さん、また感想を下さい。

P.S.:ここ朝鮮で日本のバンドのライブ演奏視聴はかないませんが、ビートルズ、ボブ・ディランからジミヘンほか‘60~’70年代ロック音源、そして「しあんくれ~る」でよくリクエストしたニーナ・シモンのヴォーカルなど各種音源は日本から送っていただいた懐古曲多数あり、よく聴いています。

残念ながら最近の若いバンドのことはよくわかりません。一昨年送られてきたBABY METAL動画に「いいね!」と見惚れていたら「いい歳してこんな若い女の子に・・・」と佐喜子さんに叱られましたが、それでめげない古希爺・・・。

男は古希越え、女は還暦越えの爺婆「よど号日本人村」、朝鮮も今年の夏は酷暑でしたが、さいわい爺婆みな元気です。ご心配ありがとうございます。