【今月の視点】「国」がキーワード

赤木志郎
今、国が問われている。

「国のあり方」ではなく「社会のあり方」を重視する、例えば社会協同主義という考え方がある。立憲民主党の綱領も国のありかたではなく、社会のありかたに終始している。しかし、社会のあり方を決定づけているのは、国のあり方だ。国としての政策を明確にし、どんな国をつくるかによって、どんな社会にするかを展望することができると思う。

とくに、今は国が問われている。

今日、世界の趨勢が自国第一主義となっていることが、国が問われていることを端的に示していると思う。

自国第一主義はEUのような各国の上にたつ機構に反対し、主権を守り自国民の意思で政治をおこなっていこうとする志向だ。

周知のように2016年からイギリスEU脱退と、欧州各国での自国第一主義の台頭、アメリカトランプ大統領の当選、そしてシリアなど中近東における国の主権を守る闘いの勝利、カタルーニャ、スコットランド、台湾、香港、そして沖縄などのアイデンティティにもとづく独立志向、シールズの立憲主義を掲げての安保法制反対の闘い、2018年に入ってメキシコにおける自国ファースト政権の発足、さらにWTO、G7、TPPなどグローバリズム機構否定の動きと、自国第一主義のすう勢はとどまることを知らない。

民族融和と統一の流れをつくった南北朝鮮も自民族、自国による運命開拓の道を拓いたといえる。朝米首脳会談により主権尊重を基礎にした平和と繁栄の東北アジア新時代がいっそう開かれていくだろう。

自国が第一であり、国民が主権を握り国の政策を自分で決定していこうとすることは、押しとどめることのできない時代のすう勢だ。

なぜ、国がキーワードとなっているのか?

もともと、国と民族は人々のもっとも基本的な生活単位であり自らの運命を拓いていく運命共同体である。

人々が自己の運命を拓くことができるかどうかは、自己の統一的な政治組織、国家をもつかどうかにかかっていると言って言い過ぎではない。国家は国民の生活と運命に責任をもつもっとも包括的な政治組織だといえる。国家をもたない民族が他国に翻弄されたり、消滅した例は数多い。

現在、国が重要になったのは、まずグローバリズムによる国の否定が生み出した矛盾が吹き出したからだ。

グローバリズムによる覇権は、国と民族それ自体を公然と論理的に否定するところに特徴がある。かつて立後れた国と民族を発展した国と民族が支配すべきとした植民地主義があった。その植民地主義も新興国の登場によって破綻した。その次にアメリカが掲げたのが、国と民族自体が古いものだとし、人類益、国際益をかかげ、国境を越えた人とモノ、カネの自由な移動を実現するというグローバリズムだった。

その結果、国と民族を否定された人々は自己の共同体を失い、家族、地域、さらに学校や企業までかつてあった共同体がなくなり、すさまじい弱肉強食の競争にさらされ、国内的にも世界的にも富める者と貧しい者の格差が極端に拡大しってしまった。アフガン、イラクなどは宣戦布告もなしに国境を越えて政権を倒されていった。

グローバリズムで各国の主権を否定した典型として、EUによる欧州各国にたいする統制がある。EUは一定の基準をもって各国にそれを押しつけた。例えばいのししの被害を蒙っても動物保護の観点から捕獲できないで被害分を保証金として受け取るということになる。いのししを捕獲するかどうかをなぜ自国で決定できないのか。こうしたことが生活上、無数に出て、人々の不満が爆発していった。

グローバリズムが各国国民の主権擁護の闘いとアメリカの覇権力の弱化によって破綻していくのは当然のことだが、さらにグローバリズムの本拠地である英米内部において自国第一主義が興った。

覇権は他国・他民族を否定、蹂躙するだけでなく、自国の国家、民族まで否定する。その典型がアメリカ合衆国だ。

各州が教育福祉などを責任もち、連邦政府は軍事と外交をおこなう。外交は世界各国にたいする支配を内政かのように処理するので国務省が管轄している。国防省は国を守るのではなく、世界支配を実現するアジア太平洋軍など各地域軍を派遣する覇権軍事を統括している。経済の要である中央銀行にあたるFRB連邦準備銀行(連邦準備制度理事会の下にある)は国立でない。アメリカ連邦政府は世界支配のための覇権の機構であり、国民の生活と運命に責任負う国家ではない。

それゆえ、アメリカ国内で世界各地への派兵に反対し、自国産業を興すこと、移民を押えることなどのアメリカファーストのうねりが興ったのだ。

内外における自国第一主義の潮流によって、もはやアメリカはグローバリズムによる覇権ができなくなった。

自国のことは自国で決定するというのは、当然の要求である。グローバリズムの弊害と矛盾を克服する道は、まず国を国として確立し、国の主権を守り自国民の意思と要求にもとづき国の政治をおこなうことだといえる。

現在、国がキーワードとなるのは、とりわけパクス・アメリカーナが崩壊し、アメリカの覇権に頼れなくなった各国が国として自らを確立するしかなくなったからだと言える。

かつて、アメリカの強大な力を背景にしてグローバリズムによる覇権がありえた。

しかし、アメリカの覇権力が著しく弱化し、世界の盟主としての地位を放棄したかに見えるもとで、日本や欧州各国はアメリカの力に頼ることはできなくなっている。アメリカの覇権のもとにいた日本などの国が、国として自らを確立せざるをえなくなったところに、現在、国がキーワードになっている根拠がある。

トランプ「アメリカファースト」は新時代の要求に応えるように見せかけながら、実は「国」を否定するもの

9月25日国連総会演説でトランプ大統領は再びアメリカファーストを強調した。朝鮮との首脳会談と米韓軍事演習の中止、イラン核合意破棄、パリ協定からの脱退、エレサレムへの大使館移転、EU、メキシコ、中国にたいする関税強化、国境の壁構築、移民制限などなど。これまでの世界の盟主としての地位を捨てたかのようだ。

しかし、アメリカはけっして覇権をやめたのではない。グローバリズムによる世界支配が破綻し、アメリカの覇権力自体が弱化したので、新たな覇権の道を選んだだけだ。

新たな「ファースト覇権」の特徴は、アメリカの国益を「ディール(取引)」と称して他国におしつけ、相手国を屈服させるものであり、露骨な他国否定だといえる。それを支えるのが世界一の軍事力、先端技術、金融と情報の掌握だ。

しかし、覇権そのものに反対し主権を守る戦いはさらに前進し、アメリカが頼る軍事力や技術、情報もいつかは各国に追いつかれるだろう。

こうして見る時、トランプ「アメリカファースト」は、覇権の最後のあがきと言えるのではないだろうか。

国民が求める「国」を実現するために

日本は戦後、アメリカに従うことにより今日まで覇権国家を続けてきた。

安倍自民党政権の政策はすべて覇権のための政策である。国を守る防衛でなく覇権のための防衛、外交は自主独立国家としての外交ではなくアメリカの覇権に従う外交、経済は国の経済ではなくアメリカに組み入れられる経済、教育・社会福祉は国家として国民に責任おう教育・社会福祉ではなく、自助による切り捨ての教育・社会福祉となっている。どの分野においても国民の生活と運命に責任を負う国家としての政策ではない。

国としての政策が行われていないから、人口減と地方消滅、格差拡大、長時間労働と児童虐待などが深刻化し、モリカケのような不祥事が繰り返される。したがって、覇権国家ではなく、国民の生活と運命に責任を負う真の国こそが、今、国民が求めているものではないだろうか。

これまで反安倍勢力が安倍自民党政権に十分に対抗できないのは、国としての政策を打ち出せないでいるからだったと思う。

国民の生活と運命に責任もつ国家としてのビジョンと政策を打ち立て、国民の力を総結集して新生日本国をめざす闘いを繰り広げることが切実に求められている。