【今月の視点】日朝、今、日本のあり方が問われている

小西隆裕

日朝関係を取り巻く外的環境は大きく変化している。南北関係、朝米関係が様変わりし、東北アジアの地殻変動が音を立てている。

だが、日朝の内的関係は旧態然だ。「蚊帳の外」に置かれたまま、日本の国としての存在も、日朝関係改善への主体的な行動も見えてこない。

イデオロギーよりアイデンティティ

9月朝鮮半島は、南北の首脳会談で熱く沸きかえった。両首脳が平壌の空港で抱擁し、歓迎の沿道には色とりどりの民族衣装の花が続いた。

「戦争の危険の根源的除去」「朝鮮半島非核化再推進の動力確保」により朝鮮半島の「後戻りなしの平和」の道しるべを立てたと言われる「9月平壌共同宣言」。そして、大競技場を埋めた15万観衆を沸かせた文在寅大統領の演説と朝鮮民族の聖山、白頭山への両首脳揃っての登頂。

大方の予想をはるかに超えた南北の融和は、世界の驚きと温かい歓迎を受けるものとなった。

だが、わが日本においてはどうだったか。隣国の熱気とは裏腹の、それに反比例するかのような冷ややかな違和感が漂っていたのではないか。ますます息を合わせる南北両首脳の「二人三脚」を横目に、特に、政治家、識者たちの間では、「(文在寅は)一体どちらの味方なのだ」との疑惑の声が高まっているように見える。

味方だったはずの「南」が「北」に引き寄せられていっている。あれほど敵視、敵対していた両者が和解、融和へと舵を切り、握手、抱擁までしている。「反共」のイデオロギーは一体どこに行ったのだ。と言うことだ。

こうした考え、発想がいかに古くさいかは、今日、「イデオロギーよりアイデンティティ」が時代の基本思潮になる中、歴然としている。翁長さんが「オール沖縄」のスローガンとともに提唱したこの思想は、右と左、保守と革新の違いを超えて、「沖縄」や「朝鮮」など、アイデンティティで皆が一つになる、現代世界共通の思潮として、あのトランプ氏も口にしている。

「同床異夢」で進行する東北アジア新時代

去る9月25日、国連総会の演壇で米大統領トランプは、グローバリズムへの拒絶と愛国主義の尊重を言い、「理念よりも現実」を主張しながら、朝鮮の金正恩委員長を称揚する一方、イランを口を極めて罵った。

なぜか?なぜトランプはあのような演説を行ったのか?それは単に「イデオロギーよりもアイデンティティ」ではない。「平和と繁栄へ」、東北アジアでの朝米の共同歩調。イスラエルやシリアをめぐり、西アジアで対立するイランと米国の関係。一方への称揚と一方への罵詈。それを言いながら、トランプは、米国の国益と各国の国益の「一致」を求めたのではないだろうか。

実際今、トランプは、各国の国益第一(ファースト)を認めながら、それと米国ファーストとの一致を求めてきている。二国間のディール、「貿易戦争」はそのための一環だ。相手国が米国ファーストの押し付けに音を上げ、それを受け入れるしか自国の国益がないようにして行っているのだ。

こうして見た時、トランプの国連演説の真意が見えてくる。グローバリズム覇権に代わる新しい米覇権、米国ファーストを各国ファーストにして覇権する「ファースト覇権」宣言に他ならないのではないか。

「東北アジア新時代」実現に向けたトランプ・米国の執念は凄まじい。その真の目的は、「非核化」ならぬ、朝鮮経済の改革開放、市場化、アメリカ化にこそある。

それは、「新時代」が実現してこそのことだ。だからこそ、東北アジア新時代は確実に開けて行く。米国の「ファースト覇権」の「夢」と南北朝鮮の平和と繁栄、統一への「夢」、この二つの「夢」を乗せて「同床異夢」に、「蜜月」の様相を呈しつつ、この上なく熾烈な覇権と脱覇権自主の闘いを内包、同伴し進展して行く。

日本は「トロイの木馬」になるのか

東北アジア新時代、「同床異夢」の闘いは、その本質に置いて、覇権と「国」の闘いだ。

国と民族を公然と否定した究極の覇権思想、グローバリズムによる覇権が破綻した今日、米覇権の前には、各国の「ファースト」を認めて覇権する矛盾に満ちた「ファースト覇権」の道しか残されていない。史上かつてない型破りの大統領、トランプの登場は、その象徴に他ならない。

分断70有余年、朝鮮戦争の終結も宣言できないまま、戦争と敵対の歴史を積み重ねてきた南北朝鮮、その和解と融和への願いは、かつてなく高まっている。今回の南北首脳会談への「南」での賛同が70%を超え、文在寅大統領への支持率が一気に20%高まったところに、それは端的に示されている。

国と民族へのこの思いは、一人南北朝鮮だけのものではない。世界的に高まる自らのアイデンティティへの志向、自国第一、国と民族への熱気、そのもっとも熱い一環、それが南北朝鮮の和解と融和への思いだと言うことができる。

覇権と「国」、このもっとも深く本質的な矛盾を内包し、「同床異夢」に、東北アジア新時代がその実現に向け、歩みを速めている。

今日、わが安倍政権のこの問題に対するスタンスは明確だ。米覇権に追随する道しかない。日朝関係改善もそれに従うものとなるだろう。

米「ファースト覇権」の確立にとって東北アジアにおける新事態の占める比重は大きく、そこで日本に期待される役割は小さくない。それは何よりも、経済と軍事だ。

朝鮮経済の改革開放、市場化、アメリカ化にとって、アメリカ化された日本経済の対朝鮮浸透が持つ意味は大きい。一方、南北融和が進む中、日本を前線とする日米共同戦争体制の構築も、東北アジア、引いては世界への新しい米軍事覇権にとって切実なものとなっている。

今、安倍政権の下進行する、経済と軍事、そして全社会的なアメリカ化構造改革が、憲法や防衛大綱、種子法や水道法の改正など幅広く、米軍基地再編などと一体に、朝鮮半島、東北アジアを睨んで加速化されているという事実が重要だと思う。それが「米国ファースト」と「日本ファースト」を一体化する米覇権新戦略の下、改元とオリンピックを連続的に迎える「新しい日本」「日米新時代」として喧伝されるのは目に見えている。

日朝関係の修復とともに促進される日本経済の朝鮮浸透、それが朝鮮経済の改革開放、アメリカ化を目的とする米国による「トロイの木馬」の送り込みであるのはもはや公然の事実だと言えるのではないだろうか。

東北アジアの大きな歴史的転換点にあって、日本が覇権か「国」か、どちらの立場を選択するかが切実に問われていると思う。

日本のあり方自体が問われている

安倍首相は、金正恩委員長からの「対話の用意あり」のメッセージを受けて、これまでの圧力一辺倒路線の転換を表明した。

もはや、日朝首脳会談、日朝関係改善への運びに支障となるものは見当たらない。多少の遅れはあろうともそれは必ず実現されるだろう。だがここでも、「新時代」の「同床異夢」は同じことだ。

問われてくるのは、安倍政権の対米追随路線を認めるのか、それとも認めず、日本独自の対朝鮮、東北アジア外交を選択するのかという問題だ。

そこで何よりも求められて来るのは、時代認識の問題ではないかと思う。

今、日本で朝鮮問題と言えば、それは、「拉致」とともに「非核化」だ。だがなぜ、米国を対象とした核とミサイル問題が日本にとって最大の朝鮮問題になるのか。最大はあくまで拉致問題だ。だがこれも、「出口戦略」が暗黙の了解になっているようだ。事実、今問題にされているのは、「何をもって朝鮮に対するか」だ。そこで誰もが言うのが「経済をテコに」、それ以外に日本の強みはないということだ。だが、それこそ「トロイの木馬」への道ではないだろうか。

今日、東北アジア新時代にあって、日本にとって最大の朝鮮問題は、朝鮮にどう向き合うのか、すぐれて時代的な日本のあり方の問題だと思う。

その最終的崩壊を目前にした覇権と全世界広範な民意が切実に要求する「国」が激しくぶつかり合う歴史の新時代にあって、日本は、「脱亜入欧」、アジアから抜け出、欧米覇権の側に付いた、この150年来の自らのあり方自体を深く総括する時に来ているのではないか。

まさにあの時、判断の基準になったのが朝鮮を「悪友」と見たその評価だった。
今、東北アジア新時代、南北朝鮮の「国」への姿勢にどう向き合うのか。日本のあり方が問われていると思う。