小西隆裕
最近、われわれのツイッター、「yobo―yodo」へのアクセスがめっきり減った。前は、あれほど凄まじかったヘイトも、時折ぽつぽつだ。
すると、何となく寂しい。
そこで思い起こされるのが、「愛の反対語は憎悪ではない。無関心だ」という言葉だ。
憎悪とは、まだその人の心に相手がいると言うことだ。だが、無関心は違う。もうそこには相手の存在はないのだ。
人間にとって、自分の存在が人々の心の中から消え去ること以上に辛いことはないのではないか。最近の寂しい気持ちはそのためなのかも知れない。