晩秋に想うこと-「僕は二十歳だった。それが人生で最も美しい時だなんて・・・」

若林盛亮

秋一色の日本人村、10月も末のある朝のこと、朝日を逆光に浴びた銀杏の木からはらはらと黄いろの葉が落ちる落ちるとめどもなく、その散りようの見事さにしばらく見とれていた。季節はすでに晩秋から初冬に向かう・・・かつてはこんな季節がとても気に入っていたよなあ・・・二十歳の頃の「若林君」の記憶がよみがえる。

あの頃の私は、春よりも秋、それも落ち葉舞う晩秋、さらには枯れ木が寒々と立ち並ぶ初冬、そんな季節が好きだった。

あれは二十歳になったばかりの春の出来事。

春爛漫の京都御所、誰かの膝枕で満開の桜を見上げていた時のこと、突然なぜかどうしようもなく悲しくなった。「いったい何やってるんや僕は」! 咲き誇る華麗な桜花に比べて自分がとてもみすぼらしく卑小に見えた。それは思いもかけない不思議な感情・・・。

私は二十歳、同志社大学三回生になっていた。もう長髪でドロップアウト、ただ社会に背を向け反抗に安住している年齢でもなくなった。でも次の一歩をどこにどう踏み出すべきかは?? 無力でお先真っ暗な二十歳。

そんな頃、誰かから聞いたポール・ニザンの「アデン・アラビア」にある有名な独白が心に響いた。

「僕は二十歳だった。それが人生で最も美しい時だなんて誰にも言わせない」

このような私には、万物蘇生の春よりも枯れ葉がはらはらと散る黄昏の季節、晩秋がいちばんぴったり来た。

そんな私にも劇的転機の時が来た。二十歳の秋にあった「10・8羽田闘争-山崎博昭の死」、それは私の心臓を直撃した。やがて私は社会に真っ向勝負を挑む道に、東大安田講堂闘争で逮捕、投獄後、赤軍派に参加、そしてよど号ハイジャック、「革命家になる」と朝鮮へと飛翔、やっと進むべき道は定まった。桜花が悲しく見えたあの京都御所、爛漫の春から三年が過ぎた23歳の春だった。

いまは春夏秋冬それぞれの季節を穏やかに味わえる。けれど落ち葉の季節、枯れ葉舞う晩秋になると、秋をこよなく愛したあの二十歳の頃の「若林君」に思いを馳せる、そして「よっしゃ」と気を引き締める。