政権交代への展望を現実に!

小西隆裕

沖縄県知事選での玉城氏の大勝、先の米中間選挙でまた新たに確認された米国政界の地殻変動、それらは、世界に広がる新しい政治の時代的波とともに、日本における政権交代の展望を現実に転化する道が何か示唆されているように思われる。

■久方ぶり、小沢一郎さんの登場
先日、BS・TBSの報道番組「19/30」のゲストは小沢一郎さんだった。テーマは、「政権交代」。

9月の沖縄県知事選、小沢さんが代表の自由党所属衆院議員、玉城氏が大方の予想を超えて大勝した。その後の那覇市などの市長選でも「オール沖縄」、野党共闘の側の連戦連勝。こうなると、来年の統一地方選、参院選に向けての「野党共闘」への模索も自ずと熱を帯びて来る。

だがそこで、小沢一郎さんは一味違っている。彼から出て来たのは、「政権交代」だった。

■政権交代、機は熟しているのか?
小沢一郎と言えば「政権交代」だ。「剛腕」の名の通り、構想力も手腕も群を抜いている。

しかし、いくら小沢さんでも、機が熟していなければ、政権交代はできない。と言うより、この機を見るのに敏なところが「政権交代の名手」たる第一の所以なのではないか。

これまで二度の政権交代でもそうだった。一度目は、1993年。あの時は、冷戦終結、米クリントン民主党政権の誕生。そして二度目は、2009年。ブッシュ共和党、単独行動主義政権からオバマ民主党、国際協調主義政権への転換の時だった。小沢氏は、そこに政権交代の機を見たのではないだろうか。

事実、昨年、2017年。オバマ民主党グローバリズム政権からトランプ共和党ファースト主義政権への転換。これに呼応するかのように、日本でも都議選での小池「都民ファーストの会」の圧勝。それに続いて、政権交代を目指す党、「希望の党」の立ち上げ。そこに急浮上してきたのが小沢一郎さんだった。だが結果は・・・。「老兵」の夢は露と消えた。

では、今回はどうなのか?沖縄県知事選での大勝。そして、先の中間選挙にも現れた、米政界の地殻変動。もはや、共和党VS民主党、二大政党の時代ではない。憎悪と分断を煽る「トランプ・ファースト覇権主義」VS米国内に広がる格差と分断に反対する「プログレッシブ(進歩党)」の構図が浮かび上がっている。

■同じ失敗は許されない
小沢さんの別名は、ご存じ、「壊し屋」だ。彼の「政権交代」が壊すだけで実を結ばないというところからの揶揄だが、実際、小沢氏主導で立ち上げた細川連立政権も民主党政権も、所期の目的を達成することなく瓦解した。

何ごとでもそうだが、とりわけ政治では総括が重要だ。なぜ失敗したのか原因を究明し誤りを繰り返さないようにすることの意義は大きい。

失敗の原因で決定的なのは、小沢一郎・政権交代に米覇権との闘いという視点がなかったことにあると思う。

小沢氏は、日本の政権交代の機を米政権のあり方の転換と結びつけて考えていた。小沢・政権交代が二つとも米国の政権交代と連動していたのはそのためだ。

それ自体は誤りでないだろう。問題は、当時の米政権交代があくまで米覇権のあり方の転換としてあり、それにどう対するかが日本の政治に問われていたということだと思う。

あの時、クリントン民主党政権へのパパ・ブッシュ共和党政権からの交代は、冷戦終結後、米一極世界支配、グローバリズム・新自由主義覇権全面化への転換だったし、ブッシュ共和党政権からオバマ民主党政権への交代は、破綻した単独行動主義覇権から国際協調主義覇権への転換だった。

しかし、小沢氏には、覇権の転換という視点から米国の政権交代を見、それにどう対しどう闘うかというところから日本の政権交代を考える観点がなかった。それは、民主党政権交代時、沖縄普天間基地の県外、国外移転問題をめぐり、米国の方針を甘く見たところに端的に現れていた。米国の辺野古基地新設への意思は米覇権のため少しの譲歩もないものだったのだ。

そもそも小沢さんの歴史観には、歴史を覇権との闘いの歴史と見る視点が欠けているように思える。彼が日本史の三大改革として挙げる大化改新、織田信長の改革、明治維新にしても、そこにあるのは、既得権益層による抵抗との闘いだけだ。中国覇権、スペイン覇権、欧米覇権との闘いという視点がすっぽりと抜け落ちている。

小沢・政権交代が米覇権の手の平の上で、いいように利用されてしまった原因も、そこにあるのではないだろうか。

小沢さんの政権交代で、もう一つ問題だと思うのは、どこまでも国民大衆をその主体と見、主体である国民大衆の意思や要求に政権交代の機を見出そうとする観点がないことだ。

小沢さんにとって、いまだ自立できておらず、自己責任をとることもできない日本国民は、あくまで意識変革の対象、教育の対象であって、闘いの主体ではない。

小沢一郎さんによる政権交代が国民的運動として推し進められることがなかったのも、あの辺野古新基地建設をめぐる闘いで、沖縄県民、日本国民に依拠することが決定的になく、米国、米軍の圧力に簡単に屈服してしまったのも、この国民観、大衆観に起因しているのではないかと思う。

この世に階級が生まれ、国が生まれて以来、歴史は、他国、他民族を支配する覇権VS国と民族、国民との闘いの歴史として流れてきた。こうした見地から見た時、階級闘争と反覇権闘争は、多かれ少なかれ結びついており、各国の政権交代は、覇権と無関係ではあり得ず、そこでは覇権に抗する国民大衆の闘いが問われて来た。

小沢一郎さんの政権交代には、この二つの観点がともに欠落していた。そこにこそ、総括すべき「失敗」の決定的要因があったと言えるのではないだろうか。

■展望を現実にするために
今日、安倍政権を打倒し政権交代を実現する機は十分に熟してきていると思う。来年4月の統一地方選、7月の参議院選はその展望を大きく開くものになるのではないか。

沖縄県知事選では、「もう変革などと言うのはやめてくれ」と言っていた若者たちが重い腰を上げ、「オール沖縄」や元シールズなど、いまだ少数ながら、闘いの先頭に立った。創価学会の婦人たちも公明党中央に反旗を翻した。政治の劣化に絶望していた人々がもう我慢ならないと「不可能性」の壁を自分で突き崩し始めたのだ。

この時代の波は大きい。海の向こう、米中間選挙の盛り上がりもかつてないものになった。2年前、トランプが巻き起こした新しい政治の国民的な波は、いまや若者を中心にトランプ自身をもたじたじとさせる「プログレッシブ」の激流として全米各地に広がって行っている。

沖縄で米国で、そしてドイツなど欧州各地、中南米、アジア、アフリカ、全世界で巻き起こる新しい政治の波には、明らかにこれまでになかった共通の時代的特徴がある。そこには、覇権が崩壊する時代、グローバルで普遍的な覇権国家の価値、「パクス・アメリカーナ」の価値より何よりも、自分たちが生き生活する地域、国を第一にし、その利益、国益を自分たち自身の闘いで実現しようとするかつてなく広範な大衆的な意思と要求が込められており、「イデオロギーよりもアイデンティティ」、「オール沖縄」の闘いに掲げられた翁長さんの志、スローガンが生きている。

来年、統一地方選、参院選で、政権交代に向けた野党共闘が成功するか否か、その鍵はまさにここにあるのではないか。

それぞれの地方地域を第一にし、日本を第一にして、愛する自らの地域、自分の国のためのスローガンを掲げ、その下に住民主体、国民主体の広範な運動を創り出すことだ。

そこには長々とした啓蒙は必要ない。誰の心にも響き、瞬時に皆で共有できるワンフレーズが、不特定多数無限大の人々から双方向で発され共にされる、そのような運動が求められている。

それは、「普遍的価値」が押し付けられてきたこれまでのグローバル政治、そしてまやかしの「自国第一」が呼号される矛盾に満ちたトランプ・ファースト政治など、新旧覇権政治を打ち破る力に満ちている。

古い安倍政治を打破し、新しい政治を目指す野党共闘が生み出す熱気と気運が政権交代への展望を現実に換えるに違いないと思う。