安保環境の激変で安保防衛路線の見直しは必至-どう見直すべきかを考える

若林盛亮

■はじめに
「我が国を取り巻く安全保障環境は、戦後、最も厳しいと言っても過言ではありません」 安倍首相は第3次政権発足に際し行った所信表明演説でこう述べた。

この安保認識の下に、「年末に向け、防衛大綱の見直しも進めてまいります。専守防衛は当然の大前提としながら、従来の延長線上ではなく国民を守るために真に必要な防衛力のあるべき姿を見定めてまいります」と「専守防衛の見直し」に着手する意向を明言した。

安倍政権がこうした危険な安保観の下に、9条改憲を焦点に安保防衛路線の見直しを打ち出してくることが必至の今日、憲法論議はそれとして必要だが、これまで論議されることがあまりになかったわが国の安保防衛はどうすべきかという政策論議をまず起こすことが急務だと思われる。

以下、重要と思われる論点を提起し、安保防衛論議活性化の一助としていただければ幸いである。

■「軍事境界線消滅」に異を唱える安保観
翁長前知事は生前、沖縄戦犠牲者追悼の集会で、南北朝鮮、米朝の首脳会談後の朝鮮半島における戦争状態終結に向けた動きを歓迎しながら、米軍基地強化の必要がなくなる沖縄の希望を語った。

翁長前知事ならずとも日本国民にとっても隣国が緊張緩和と平和に動くことは歓迎すべきことだ。

だが河野外相が「(米朝間の)戦争終結宣言は時期尚早」と公式に語ったように、安倍政権は「軍事境界線消滅」に異を唱える姿勢を崩さない。

南北朝鮮の「共同祭典」となった平昌冬季五輪を前にしたTV番組で中谷元防衛大臣は「軍事境界線を挟んで国連軍(米軍)と北朝鮮軍が対峙しているのに、(これを崩すような)民族融和の動きを勝手にやるのはよくないことです」と韓国政府の動きを強く非難した。

この当時、南北融和に否定的だった米トランプ政権も6月の米朝首脳会談以降は戦争終結に向けて動き出した。当然ながら中国、ロシアもこれに歓迎の意を示している。文在寅大統領との会見時にローマ法王も「立ち止まることなく前に進んでほしい」と激励したように、いまや東北アジアにおける安保環境の激変、戦争から平和への動きを歓迎するのは世界と時代の趨勢になっている。

■「利益線の守護」という時代錯誤
「明治時代の首相、山県有朋は1890年に『主権線のみならず、・・・利益線をも守護しなければならない』と演説しました。

・・・既に帝国主義の時代は消滅したわけですが、それにも関わらず、この利益線の考え方は国益を考える上で意味を持ち続けています」(冨澤暉「逆説の軍事論」)

ここで言う山県有朋の演説は、主権線、自国領土防衛のみならず、より重要には植民地領有など海外権益の守護、「利益線の守護」こそが大日本帝国の基本軍事路線であることを明言したものだ。

日本防衛の中枢を担った元陸上幕僚長、冨澤氏が自著で語るのは、「利益線の守護」という旧帝国主義時代の軍事思想が今日なおも日本の防衛思想の根幹に置かれているという指摘だ。

かつては「利益線の守護」のため、アジアの植民地領有を巡り米英との戦争に突入した大日本帝国だが、戦後もこの「利益線の守護」という軍事思想は形を変えて日本の安保防衛路線となった。

2015年、安倍首相は戦後70年談話で、先の戦争の過ちを「英米中心の国際秩序に挑戦したこと」に求め、戦後日本の国益、「利益線」は「米中心の国際秩序維持」であるとした。まさに戦後日本の「利益線の守護」は「米中心の国際秩序の守護」であること、この防衛任務の基本を担うのは専守防衛の自衛隊ではなく米軍(日米安保軍)であり、この日米安保基軸の「利益線の守護」が戦後日本の安保防衛路線の根幹をなすものとなった。

この「利益線の守護」からすれば、朝米間の戦争状態終結、「軍事境界線の消滅」は、朝鮮半島での米軍の「防衛ラインの後退」を意味し、米中心の国際秩序を揺るがす由々しい事態となるのだ。

そもそも19世紀末の「勢力範囲」、「利益範囲」といった帝国主義時代の概念である「利益線の守護」がいまも大手を振っている方がおかしいのだ。

朝鮮半島を南北に分ける軍事境界線は、米国の「利益線の守護」、米中心の国際秩序維持の最前線として位置づけられている。一方、それは朝鮮の人々にとって民族を南北に分断する悲劇の元凶でしかなかった。それがついに「軍事境界線消滅」、戦争状態の終結へと一歩を踏み出したのだ。

いま軍事境界線上では、南北首脳会談時の合意に従って、地雷除去など非武装化、実質上の「軍事境界線消滅」作業が進められている。軍事境界線上空の軍用飛行機通過を禁じられた駐韓米軍当局は「北朝鮮への偵察飛行に支障を来す」と不満を口にはできてもこれに従わざるをえない。

南北朝鮮による「利益線の守護」最前線解体作業に覇権帝国米国がしぶしぶ従わせられる、これがいま東北アジアで起こっている新しい事態だ。

このことは「利益線の守護」が時代から排撃を受ける時代錯誤の概念であり、「利益線の守護」に基づくわが国の安保防衛路線がもはや時代遅れであることを示すものだ。

■「主権線の守護」に徹する「9条自衛」に
いま安倍政権の着手しようとする安保防衛路線の見直し、9条改憲、「専守防衛の見直し」などは、時代錯誤の「利益線の守護」を維持せんがための悪あがきであり、わが国を再びアジアと世界の孤児にするものだ。

東北アジア新時代という安保環境の変化に即した日本の安保防衛路線を打ち出すことが急務だと思う。

いま第一に重要なことは、「利益線の守護」を古い時代の遺物として従来の安保防衛を見直し、「主権線の守護」に徹する日本の安保防衛はどうあるべきかを考えることだと思う。

そのうえで「戦争をする国にならない」自衛路線はどうあるべきか? わが国の場合、先の戦争から深刻な教訓を汲んだ戦後日本は「二度と戦争をする国にならない」ことを国民的誓いとし、これを出発点とした。それは戦後の国民的アイデンティティとも言えるものだ。

このことを考えれば、「9条自衛」の防衛が日本のとるべき安保防衛路線だと言えるのではないだろうか。

9条自衛は、領海領空領土、主権線を侵害するものを撃退する自衛に限定し、相手国まで深追いしない専守防衛、撃退自衛がその要求だ。

「新9条論」の伊勢崎賢治氏の言う「領海領空領土内、迎撃力に限る」の主張、そして護憲の人も立憲主義的改憲論の人も賛同できる「専守防衛・個別的自衛権行使に限る」の主張も先の戦争を教訓とする自衛論であり、細部はともかく「9条自衛」の線で広く一致を得られるものと思う。

「戦力不保持、交戦権否認」の理解は、「自衛」の名によって侵略戦争が行われないように、自衛戦争で許される相手国への報復攻撃、国家同士の交戦の権利をも否認するという意味での「交戦権否認」、戦争武力である相手国への報復攻撃武力を持たないという「戦力不保持」。

これが「二度と戦争をする国にはしない」国民的アイデンティティを具現する「主権の守護」に徹した自衛路線ではないだろうか。

第二に、「利益線の守護」のための日米安保優先という安保防衛路線からの転換を考えなければならない。そこでまず着手すべきことは、「日米地位協定の改訂」に踏み込むことだ。

ここでも基本は、「主権線の守護」の自衛に徹するための「地位協定の改訂」だと思う。

前述の伊勢崎氏は「在日米軍基地が日本の施政下以外の他国、領域への武力行使に使われることの禁止」を必須とする「日米地位協定の改訂」に踏み込むべきだとしているがこれに全的に同感だ。

このような地位協定改訂であってこそ、米軍であれ、日本の基地を使用する以上、「主権線の守護」に徹する国是に従い、「二度と戦争をしない日本」という民意に服従させうるものになるだろう。

第三に、日米安保一辺倒ではなくアジア安保、特に東北アジア地域集団安保の構想を持っておくべきだと思う。

東北アジアにおける安保環境の変化は、日米安保のような「利益線の守護」のための覇権的な集団安保ではなく、「主権線の守護」に徹する地域集団安保の実現を求めるものだ。

このような集団安保の模範例はASEANを中心とするARF(アセアン地域フォーラム)だ。主権尊重、内政不干渉を原則とする武力によらない地域集団安保、これがARF式の集団安保だ。

このARFを東北アジア地域にまで拡大し実現する構想を持つことではないだろうか。

以上、議論の一助になればと思う。