魚本公博
前回、堤未果さんの「日本が売られる」をもって議論提起した。その時点では、広告を見ただけだったので、「売られる」という表現こそが日米関係の本質を突いているということ。そして「売られる」とは、日本の為政者、政財界のトップが「日本を売ろうとしている」ことを意味し、それこそが問題の核心ではないかということを述べた。
その本を先日手に入れたが更に多くのことを知ることが出来た。そこで新たに感じたことは、堤さんが、「売られる」と表現する中に「知らないうちに売られようとしている」という思いを込めているということだ。
根本的には、「国民が知られない」ように事が運ばれているということ。水道法改正では、7月5日に衆院で可決されたが、その審議時間は9時間。2017年4月14日に可決された種子法廃止法案の審議時間は、衆参両院で合計12時間。そしてマスコミ報道。水道法はオウム真理教事件の死刑執行が大きく取り上げられる中でほとんど報道されず、種子法廃止法案では、森友問題や同時に可決された機密保護法の陰で小さく報道されたに過ぎなかった。
その審議はおざなりで、ことの本質を隠すものでしかない。種子法も、水道法も、外国資本に日本の水、種子を売るものであるのに、それが焦点にされない。主には人口減の下、「このままでは水道が維持できない」、「各県ごとに種子を開発維持するのはムダ」というような議論に終始している。
こうした脈絡の中で、私が、今回、問題提起したいのは、「それって本当?」ということ。
人口減による財政難で「水道維持が難しい」というが、水道事業で赤字を出しているのは人口5万以下の市などであり、それ以上は黒字だという。大量の水を使う大企業は相応の支払いをしているのか。ネットであげられていた北九州の岡垣町の場合などは、北九州市のベッドタウンなのだから北九州市が相応の負担を負うべきなのであり、そうしたことをやれば「財政難」も解決できると思う。
「人とカネを集中して効率化を図る」という説法も、「それって本当?」だ。きれいな水が豊富な日本では、小規模の方が効率的ではなかろうか? 受給者5000人以下の「簡易水道」、100人以下の「小さな水道」を小さな市町村単位、集落単位で、地下水、湧き水、渓流から取水して小さな水道管で流せばカネはかからないだろう。電気でも、大発電所から数百キロも送電し70%ものロスを出すようなやり方はもう古く、IT技術の発展した今日では、再生可能エネルギーを使った中小発電所を住民地区近くに作りネット化して需要を調節した方が効率的となっているではないか。
水道で言われる「法定耐用年数40年」も本当だろうか。耐用年数とか、殺菌のための浄水施設を義務づける隠れた狙いは、鉄消費を増やしたり、水道事業をカネのかかるものにして企業の利益を図るためであろう。優秀な日本の鉄なら耐用年数を50年にすることも可能な筈であり、それだけで今の「財政難」は解消される。湧き水や渓流を利用する地域では殺菌のハードルも高くする必要はない。北九州、岡垣町の水道は地下水からの給水であり「美味しい水」という評価を得ている。
水道が主になってしまったが、堤さんが「売られる」とする農業、林業、漁業、医療、教育などでも、「日本を売る」者たちのへ、「それって本当?」という見方が大事だと思う。
堤さんは、最後に「日本が売られる」ことに対する闘い方について述べているが、それは大事なことだ。いずれにしても、国の為政者自身が日本を売ろうとしているのだから、「日本を売らない」政権に交替させることが肝要であり、それと下からの「守る闘い」が結合しなくてはならないと思う。堤さんの提起(「考える消費者と協働組合の最強タッグ」など)を参考にしながら、それについて次回、考えてみたい。