小西隆裕
昨年、2018年、東北アジアが激動した。
ピョンチャン・オリンピックでの南北接触に始まったかつてない事態の進展は、東北アジアの地殻を変動する激震として、その度数を上げていった。南高位級代表団の訪北。南の訪米代表団を介し、トランプ大統領、朝米首脳会談要請の受諾。金正恩委員長の電撃訪中と朝中首脳会談。南北首脳の板門店での出会いと宣言。第二回朝中首脳会談。朝米首脳のシンガポール会談。第三回朝中首脳会談。そして、南北首脳のピョンヤン会談と宣言。
連続的に展開された南北、朝中、朝米の歴史的首脳会談と打ち出された宣言は、世界を大きく震撼させた。
戦争と敵対から平和と友好、繁栄へ。東北アジアの時代的転換が高らかに宣言され、そのための行動が開始された。
軍事分界線を挟んでの南北両軍砦の爆破と双方兵士の握手。鉄道、道路の分界線を越える開通に向けた事業の朝鮮半島の東西同時進行。南北体育人、芸術人の交流。等々。
そして、新年、2019年、「激動」は、年初から、昨年にも増す、より根底からのものになる予感を与えてくれている。
金正恩委員長の新年の辞とトランプ大統領への親書。それを受けての朝米首脳会談への動きと朝中首脳会談。
朝鮮半島をめぐる東北アジア新時代の到来は、もはや誰の目にも明らかな時代的現実として、立ち現れる様相を呈してきている。
だが、わが日本においては、この動きに接しながらも、いまだ懐疑的な空気が濃厚のように見える。
そこで思うのは、日本において、この東北アジアで起きている新事態の本質を朝鮮の非核化をめぐるものと考えるのが一般的になっているのではないかという事実だ。
なぜそうなっているのか、その要因について考えた時、一つは、今回の事態進展の根因を、米国が言うように、制裁に耐えきれなくなった朝鮮が米国との交渉、駆け引きに出てきたと見ているということだ。だから、相対立する双方の利害からその進展を懐疑するようになっているのではないかと思う。
もう一つの要因は、朝鮮の非核化を当然あるべき世界の道理と考え、そのままならない進展を懐疑し憂慮しているのではないかと思う。
この二つの要因について考えた時、第一に明らかなのは、今起きている事態進展の根本原因が米国が言うようなものではあり得ないと言うことだ。少し考えれば、それが米国の体裁繕いなのは明らかだ。核とミサイルをめぐる攻防で敗北したのは朝鮮ではない、米国だ。核とミサイルは完全に米国全土を射程に納めるようになった。だからこそ、米国は朝鮮との交渉に応じてきた。それこそが今回の事態進展の真相なのではないだろうか。
もう一つ、非核化が世界の道理なのは事実だ。しかしだからと言って、なぜ朝鮮だけが非核化しなければならないのか。それは明らかに道理に合わない。この非道理を表に掲げながら、実際に推し進められているのは、戦争と敵対から平和と繁栄への時代的転換であり、そこで図られるのは、朝米双方にとっての利益だ。すなわち、朝鮮には平和と社会主義経済建設、そして統一であり、米国には、朝鮮の改革開放とその資本主義化、アメリカ化を図ることであり、それを重要な一環とするグローバルからファーストへ米覇権のあり方の転換だ。この相対立し矛盾する事態の発展、すなわち、戦争と敵対から「平和」と「繁栄」へ、朝米攻防の第2ステージへの進展、この辺りに東北アジア新時代の事態発展の本質があるのではないだろうか。
この新たな攻防に日本がいつまでも「蚊帳の外」でいることは許されない。アジアも米国も、そして誰より、日本国民自身が許さない。
そこで問われてくるもっとも切実な問題が、日朝、日韓問題だ。
東北アジアの新年、それは日本にとって決して「対岸の火事」ではない。すぐれて自分自身のあり方が問われて来る新年になるのではないだろうか。