-激変する東北アジア安保環境-「米覇権を守る」戦後日本の防衛を見直す時

若林盛亮

■緊張緩和が「日本にとって最悪」とは?
先のハノイでの朝米首脳会談で「合意できず」を「最悪の事態は避けられた」と一番喜んだのは日本の政界とマスコミだった。南北朝鮮、及び世界の絶対多数は「平和への合意」を期待した。なぜわが国の政界、マスコミは朝鮮半島の緊張緩和を喜ばず「最悪」と見るのだろうか?

朝鮮半島緊張緩和の端緒は、昨年初め、ピョンチャン五輪が南北共同の祭典として開催、統一旗掲げる南北朝鮮の合同選手団が実現、「北」からの高位級政治代表団が共同の祭典に参加、文在寅大統領と南北和解を協議、その場で南北首脳会談実現も決まった。前年までの「北朝鮮の核とミサイル問題」をめぐり戦争直前、一触即発といわれた危機が回避されたことを全世界が歓迎した。

ところがわが国ではピョンチャン五輪が南北の共同祭典とすることが決まった時、TV番組に出演した中谷元防衛大臣はこう懸念を表明した。

「38度線で米軍が北朝鮮軍と対峙しているのに、韓国が勝手に融和姿勢を示しては困るんです」。

38度線、軍事境界線における緊張状態を緩和することが困るというのが日本政府の立場だ。融和姿勢に転じた韓国・文在寅政権とそれを「困る」と言う安倍政権との正反対の認識の差はどこから来るのか?

韓国民衆にとって、軍事境界線は南北分断という民族の悲劇の象徴であり、ながらく同族敵対と民族分断を固定化する諸悪の根元であった。

軍事境界線は、「米軍が北朝鮮と対峙」することで保たれる米国中心の国際秩序維持、言い換えれば「米覇権を守る」ための防衛ラインだ。文在寅政権にとっては「米覇権を守る」防衛ラインによってもたらされた民族の悲劇を終わらせることこそが民意に応える正義、という認識だ。

他方、安倍政権にとっては、「米覇権を守る」防衛ラインとして軍事境界線維持が日本の安全保障にとって重要であり、これを崩す融和姿勢、緊張緩和努力は「最悪」という認識だ。

なぜこうなるのか? 「米覇権を守る」防衛がわが国政府の安保防衛観の中心に置かれているからではないのか? このことを考えてみたい。

■「日本を守る」防衛を犠牲にして何を守るのか?
情報誌「選択」1月号に「自衛隊を弱体化させる安倍政権」という記事がある。最近、米国から購入する正面装備に予算の大部分が使われるため、人と装備の維持費に金が回ってこない、だから現場の自衛隊員たちが困っているという記事だ。

昨年2月の佐賀県柏崎市での住宅地区への自衛隊ヘリ墜落事故で2名の隊員が死亡、住宅にいた少女が負傷したが、事故の原因は、主回転翼の「メインローターヘッド」が中古部品の転用だったことにあった。問題はこれが偶然とは言えないことだ。予算が限られているため、陸海空の自衛隊すべてで多くの部品、戦闘機までが中古部品の転用で補われているとのことだ。弾丸、弾薬不足も深刻で訓練に使用する空弾すらなくて口で「パン、パン・・・」と子供の戦争ごっこのような訓練もやるそうだ。下士官不足も深刻で充足率は70%、その理由は「警察官の各種手当ての方が手厚い。われわれは三分の一程度でしょう」と一陸曹長が語る人件費抑制のためだ。

こうした自衛隊の惨状を更に悪化させるのが、昨年末、閣議決定された新防衛大綱だ。この大綱によって米国から購入する正面装備の予算が膨大化するので「人と装備維持」の費用削減が更に増幅され、事態がいっそう深刻化するのは明白だ。

小型空母導入のため米国からF35Bステルス戦闘機を購入、900km射程の長距離巡航ミサイルや陸上からミサイル防衛のための「イージスアショア」等々、「言い値で買わされる」高価な兵器の米国からの購入が目白押し、そのうえその先には「防衛費の後年度負担」という名の「ローン地獄」が待っている。「日本を守る」防衛現場を弱化させてまで必要とされる正面装備購入がめざすものは一体、何なのか?

この「新防衛大綱」が想定する新たな正面装備がめざすもの、それは自衛隊の攻撃能力保有だ。

F35Bステルス戦闘機購入の目的は、自衛隊の小型空母保有だ。海上自衛隊の「いずも」型護衛艦を改修し、短距離離陸と垂直着陸可能なF35Bを搭載できるようにした小型空母にするというものだ。900km射程の長距離巡航ミサイルは日本海海上から「北朝鮮のミサイル基地」を攻撃できる能力を持つ。空母保有、長距離巡航ミサイル保有は、自衛隊が専守防衛の「盾」から敵国攻撃能力保有の「矛」に転換するということだ。

自衛隊弱化を招いても必要な「自衛隊の攻撃能力保有」とはいったい何のためのものなのか?

こんな本末転倒が起こるのは、自衛隊の基本任務が「日本を守る」防衛から「米覇権を守る」防衛に転換されるからだ。

これは戦後日本の安保防衛路線の必然的な帰結である。このことについて次に考えてみたい。

■戦後日本の防衛は「米覇権を守る」防衛が本質
戦後日本は、「吉田ドクトリン」と言われる「軽武装・経済至上」主義、日本は経済に集中し、軍事に金を使わない、日本防衛は米軍に任せるというものだった。一般にこのことが戦後日本の経済的繁栄をもたらしたと言われている。

この「吉田ドクトリン」を基礎に、戦後日本の安保防衛は「憲法9条・専守防衛の自衛隊=盾」+「日米安保・攻撃能力保有の米軍=矛」の二本立てとし、攻撃能力を持つ米軍が日本防衛の基本を担うという日米安保基軸を基本路線としてきた。

米軍が日本防衛の基本を担うとはどういうことなのか?

日米安保条約に基づく在日米軍の基本任務は、日本の主権や領土を守ることではなく、「アジアと世界平和を守る」こと、その実質は「米中心の国際秩序維持」、その本質は「米覇権を守る」ことだ。この米軍が日本防衛の基本を担うということは、「米覇権を守る」防衛が日本の安保防衛の基本路線だということではないだろうか。

「米覇権を守る」防衛、それは日本国民の要求ではない。「二度と戦争をしない国になる」、軍国主義からの脱却を誓い、その具現である「戦争放棄」の憲法9条、ただ「日本を守る」専守防衛が国民の要求だった。「米覇権を守る」防衛は、復活した旧財閥、侵略武力を持てなくなった旧帝国主義勢力、ML主義風に言えば日本の独占資本、巨大資本勢力の要求だ。対外進出が生命線であり、海外権益維持を米軍に託す、これが巨大資本の要求する戦後日本の防衛だった。米中心の国際秩序に依拠して自己の海外権益を実現、確保する、その「利益線守護」の防衛路線が「米覇権を守る」防衛であり、憲法9条ではなく日米安保基軸こそが日本の防衛だとされてきたのではないだろうか。

朝鮮半島の緊張緩和を日本の安保環境の好転と見ず、「最悪の安保環境」と見て自衛隊の「米覇権を守る」戦力化を図る安倍政権の危険な企図は、国民が戦後日本の防衛路線を見直す契機を与えることになるだろう、いやそうすべきだと思う。

■覇を競わない日本独自の防衛路線への転換を
この間、米韓両国が毎年春の大規模な合同軍事演習の廃止で合意したことを受け、日本政府は在韓米軍の抑止力が低下し、東アジアの軍事バランスが崩れかねないと懸念を強めている。日本が東アジア防衛の最前線に立つことで軍事バランスを保つことになるだろうとの主張も出始めている。

安倍政権が新防衛大綱で打ち出した自衛隊の「攻撃能力の保有」、「米覇権を守る」戦力化、それはまさに韓国軍に代わって自衛隊が「米覇権を守る」最前線任務を担うことに直結するものだ。安保法制実施の日本では、米軍を防衛する軍事行動が合法化され、「攻撃能力保有」の自衛隊が「米覇権を守る」戦争をする最前線に立つことを強いられる。これは「二度と戦争をする国にならない」と誓い、それを憲法9条に託した国民的決心と相容れないものだ。

ろうそく革命によって南北和解を掲げる文在寅政権を生み出した韓国の民衆は、「米覇権を守る」防衛による民族的悲劇を甘受することを拒否し、いまや事実上、軍事境界線を亡きものにしようとしてる。「北」を「敵」とみなさなくなって兵役に疑問を感じる若者が増えているとのことだ。

東北アジア、朝鮮半島の安保環境の激変の本質は、覇権の犠牲物になることを拒否する脱覇権の民意が時代の主流となったことだ。

この時代の潮流は、自衛隊に「米覇権を守る」戦争を強いるに至った戦後日本の「米覇権を守る」防衛を見直し、時代に即した脱覇権の日本の防衛、覇を競わない日本独自の防衛への転換を考える絶好の機会をわれわれに与えてくれるものだ。

これまで「安保防衛論議」で9条自衛の議論を提起してきたが、脱覇権の防衛、覇を競わない防衛というこの時代に即した具体的政策論議に発展させていかねばならないと思う。