「憲法9条を“戦争荷担国家”の隠れ蓑にしてきた戦後日本」という問題提起

若林盛亮

今月3日の「憲法記念日」を前に、BS朝日「田原総一郎・激論クロスファイヤー」で「ハト派中のハト派からの改憲論」をテーマに山尾志桜里氏(立憲民主党)と井上達夫氏(東大大学院教授)が出演、「ハト派からの改憲論議」の意図を語った。

そこで鋭い問題提起だと思ったのは、「憲法9条は戦後日本の実際の顔、米軍の戦争荷担国家という現実から目をそらさせる隠れ蓑に使われてきた」といった指摘だ。

「戦後日本は自衛隊が一発の銃も撃たなかった平和国家だった」とよく言われる。しかし日本の基地からベトナム爆撃のためB52が飛び、イラク、アフガニスタン「反テロ戦争」では自衛隊が米軍の後方支援部隊として“戦争支援行動”をとった。だから戦後日本は一貫して「戦争荷担国家」であった、この歴史的事実を否定することはできない。

この歴史的事実から国民の目をそらせるために「憲法9条が隠れ蓑に使われた」、というのが「ハト派改憲論者」の問題提起だ。

「戦力不保持、交戦権否認の憲法9条では日本を守れない」、具体的には「自衛隊では日本を守れない」、だから「攻撃能力保有の米軍の抑止力に日本の安保・防衛は依存せざるをえない」として日米安保基軸の防衛路線を戦後日本はとってきた。

日米安保条約は併せて締結された日米地位協定をもって、日本全土のどこにでも米軍基地設置は可能、自衛隊基地も自由に米軍が使用可能、また日本の基地から米軍が他国攻撃に出撃することを止めることはできないと規定することによって、日本全土の戦争基地化を合法化してきた。事実、ベトナム戦争では沖縄カテナ基地が米空軍のB52爆撃機の出撃基地として使われた。

「9条では日本防衛は不可能」と憲法9条を盾にとって、日本を米軍の戦争に自由に使用可能な出撃拠点にし、9条平和国家日本をその実、「戦争荷担国家」にしてきたのが戦後日本だった。

しかしながら戦禍が日本に及ばない、しかも戦争している主体は米軍であり、自衛隊は一発の銃も撃っていない、だから表面上、「平和国家」の体裁は保ってきた。

とは言え、もし当時のベトナムが日本に届くミサイルを持っていたとしたら日本の米軍基地にミサイルを撃ち込まれても文句は言えなかった。だが幸か不幸か、当時のベトナムはそんなミサイルを保有していなかった。米軍の戦争相手国に日本攻撃能力がなかったからたまたま日本が戦争に巻き込まれなかっただけの話である。

だがいまは事情が違う、「北朝鮮が核とミサイルを持ち、米軍の攻撃を受けたなら日本の米軍基地を攻撃すると明言している」と井上氏は国民に注意を喚起する。現実は、日本国民に米軍の戦争を引き受けるか否かの覚悟が問われる事態になっている。もう憲法9条を隠れ蓑に戦争から目を背けることはできないのだ。これがだいた両氏の共通する問題提起だ。

これまで「憲法9条で日本は守れない」という「隠れ蓑」の根拠を打破する論議、「9条で日本は守れる」とする安保防衛論議がなかったというのが悲しい事実だ。護憲リベラルも左翼も「9条を世界に」などイデオロギー先行で実質的な日本の防衛論議を避けてきた嫌いがある。「ハト派からの改憲論」はこれに一石を投じるところに意義があるのだと思う。その改憲論の正否は置いても、この問題提起には耳を傾けるべきだ。

このTV論議での問題提起を聞いて私が考えさせられた結論はこうだ。戦後日本があいまいにしてきた日本の自衛の範囲を明確にすること、つまり「二度と戦争国家にはならない」の憲法9条精神に即して自衛隊は日本の領土領海領空での迎撃、撃退に限定の専守防衛に徹する、他方、日米地位協定改訂で日本の基地からの米軍の他国攻撃のための出撃は認めない、この二点を基軸に日本の安保防衛政策を明確に規定することが問われる時期に来たということだ。言い換えれば相手国に攻め込むことを前提とした米軍の核を基軸とした攻撃力、抑止力への依存・日米安保依存、言葉を換えれば「米軍の戦争に荷担」前提の戦後安保防衛路線を見直すこと、このことが問われている。

山尾、井上両氏の「改憲論」の主眼は、戦後日本が「憲法9条を隠れ蓑」にして戦争荷担から国民の目をそらしてきたこと、これに真っ正面から向き合うことという問題提起だと思う。その心は日本の自衛、安保防衛をどうするのか、そのための国民的論議を起こすことにある。

それはとても重要な問題提起だと思う。