魚本公博
6月12日からの安倍首相のイラン訪問。外国メディアは、「日本の代表なのか、米国の大使なのか」と揶揄していたが、安倍首相の「トランプのポチ」ぶりは、いただけない。
そもそも、このイラン訪問は、トランプを令和最初の国賓として迎え、ゴルフ、スモウ、宮中晩餐会と、至れり尽くせりの接待をした「取り入り」「抱きつく」外交の中で、トランプの「安倍首相のイラン訪問を期待する」という要望に従ったものだ。
ところが米国は、この訪問の初日、12日のロハニ大統領との会談の日に、「イスラム革命防衛隊」への追加制裁を発表。そして翌日13日の最高指導者ハメネイ氏との会談の日には「タンカー攻撃事件」が。
ポンペイオ米国務長官は、これをイランの革命防衛隊の機雷攻撃だと言うが、タンカー乗組員は「飛行物体が飛来した」と証言しており、喫水線上に穴があいていることも、それを傍証している。そうなれば、この事件は、イランには何のメリットもなく(イラン外務省)、米国にこそメリットがあり「米国の犯行」と見るべきだろう。
それにしても、よりによって安倍首相の訪問に合わせたかのような米国の行動。「イランはどう出てくるか」。安倍のイラン訪問は、イランの動向を探るスパイの役割とも言うべきもの、あるいは「イランの暴挙」を印象づけるための道化役でしかなかった。
米国のイランへの圧力は、昨年5月にトランプが「イラン核合意」から一方的に離脱し、「核の完全廃棄」を求めたことに始まる。それはEU主導の「合意」から、米国主導の「合意」に転換したいということだろう。そうした狙いの下、イランに対しては「核の完全廃棄」という無理難題をふっかけることで米国は「体制変換」を狙っている。それはトランプが「体制変換を求めているのではない」「イランを手助けしたいだけだ」という発言の真意を推察すれば明らかだ。すなわちトランプはイラン内部で「開放」派が力をもてば、それが可能だと踏んでいるのだろう。
そのための軍事圧力。米国は、すでにこの海域に空母や戦略爆撃機を配備し、1500人の増兵を決定している。そしてタンカー攻撃事件。
まさに、米国覇権の回復・強化を狙った策動。安倍首相は、その一端を担わされている。だが、そんなことが実現できる時代だろうか。いくら軍事的圧力をかけてもイランの反米姿勢は逆に強化されている。そして米国の策略は行動への国際的な反発・憂慮は強くなっている。
今回のタンカー攻撃では、菅官房長官は、「今の時点で自衛隊を派遣することは考えていない」と意味深な発言を。それは、今後イラン事態がさらに深刻化すれば自衛隊派遣を考えねばならないというように受け止められるものだ。
5月の訪日でトランプは「いずも型空母」で演説し、「アジア太平洋地域の安全」のための日米協力を打ち上げた。その「いずも」は今、ベトナムを訪問した後、付近の海域でカールビンソンとの共同軍事演習を行っている。
安倍首相の「取り入り」外交。それでトランプとの蜜月を演出することが自身のためには良いものだとしても、その結果、日本はどうなるのか。
今回の「イラン訪問」で、あれだけコケにされ、道化役を演じさせられても、まだ「トランプのポチ」でありたいのか。いい加減、そのバカらしさ、危険性に気づいてほしいものである。