殴った人には殴られた人の痛みはなかなか分からない

赤木志郎

G20大阪会議で安倍首相は日本を訪れた韓国・文在寅大統領にたいし、日韓首脳会談をおこなわず、冷遇した。その前に韓国が提起した元徴用工にたいする賠償を日韓共同で出資した基金で行おうという提案にも即日拒否の回答だった。さらに、7月1日、日本政府は韓国に対する半導体材料の3品目の輸出規制を7月4日から施行することにした。

他方、元徴用工の訴訟を巡っては、昨年10月以降、3件で日本企業の賠償が確定した。その後追加された訴訟を含め、少なくとも29件が進行中となっている。今後も日本企業が敗訴する判決が相次ぐとみられている。

日韓関係がこのように冷え込み対立が激化する一方になった原因について、日本政府は日韓条約ですでに解決済みの賠償問題を韓国が蒸し返したからだと言う。これにたいし、文大統領は「歴史問題は韓国政府が作っているのではなく、過去の不幸な歴史のために生じた」と述べている。歴史問題が済んだことなのか、現存している問題なのかで食い違っている。

日本政府は小渕談話などで韓国にたいする植民地支配の謝罪をおこなっている。だから、謝罪していないと言われれば、「何だと」と怒りたくなる気持ちも理解できないわけではない。しかし、謝罪は相手が納得するかどうかが基準だ。納得するまでしていかなければならない。なのに、「もう謝罪する必要はない」「賠償問題はすで解決済みの問題だ」で開きなおれば、被害を受けた韓国の人たちの気持ちは穏やかではないだろう。

真の謝罪は被害者が心から納得できるようにすることだと思う。しかも、賠償問題自体は個人の賠償権を日本政府自体が認めてきたものだから、日韓条約・協定に違反しているというのはつじつまが合わない。それを、「済んだことだ」「国際条約に背く」とすると、植民地支配についての歴史認識の違いを感じさせるだけだ。

韓国の若者が多く訪日して日本文化に親しんでいるという。けっして反日ではないのだ。しかし、一方で歴史認識では断絶感をもっている。日本を理解した上で、かつての侵略をまともに反省、謝罪しないのはおかしいと言っているのだと思う。日本だけが韓国の人の気持ちを見ずにただ嫌韓なのだ。

人を殴った人はそのことを忘れても、殴られた人は忘れない。韓国の人々の歴史認識がなぜ日本と異なるのか、なぜ怒るのか、韓国の人々の気持ちをまず理解しようという立場から出発すべきだと思う。言いかえれば、嫌韓からではなく親韓の立場からこの問題を考えていくべきだ。

とりわけ、平和と繁栄の東北アジア新時代を迎えている現在、それに逆行するような日韓関係は根本的に改善していかなければならない。