【今月の視点】朝米首脳板門店会談を評価する視点

小西隆裕

世界の耳目を引きつけた、先の、6月30日、朝米首脳板門店会談をどう見、どう評価するかが問われていると思う。

あれを、トランプによる来年米大統領選に向けた単なるパーフォーマンス、「政治ショー」だったと見るのか、それとも、非核化のための朝米実務会議を実現する上で一定の意味を持った出会いだったと評価するのか、はたまた、これまで65年以上の長期にわたり、敵対を続けてきた朝鮮戦争停戦状況を実質的に終結させる歴史的快挙として賞賛するのか、等々、その見方や評価は様々に分かれているようだ。

もちろん、歴史上の事象の評価は、その当事者たちの意思や要求で決まるものではない。どこまでも、その時代の、そして後世の人々の客観的評価によって決まるものだと思う。

その上で、今回の「会談」を見る上で留意すべきだと思うのは、朝米両国の目的が、日本で一般的に求められているのとは違うということではないかと思う。

日本で朝米問題と言えば、「非核化」だ。

しかし当然のことながら、朝鮮は違う。朝鮮が求めているのは、戦争の終結であり、制裁の解除、そして何より南北の統一だ。

一方、米国はどうか。米国が非核化を求めているのは事実だと思う。しかし、米国の要求は、それにも増して、崩壊したグローバリズムによる覇権に代わる新しい覇権を立てるところにあるのではないだろうか。

先頃、非公然に宣言された「米中百年冷戦」と対中国・貿易戦争、ファーウェイ・デジタル覇権戦争、中国「一帯一路」に対する「インド・太平洋戦略」、そしてイランに対する攻撃や欧州、南米などでの自国第一主義勢力との連携の強化、等々、明らかに、今、米国の新しい覇権戦略、ファースト覇権戦略が全面化されてきている。

朝米、東北アジアの新事態がそれと無関係でないどころか、朝鮮の「改革開放」と南北朝鮮合わせての米覇権勢力圏への取り込みなど、その重要な一環として位置づけられているのは十分に考えられることだ。

そうした中、この間の朝鮮とロシア、中国との連携、米国との積極的な連携が超大国間の覇権抗争の中にあって、朝鮮が自主と独立、社会主義を堅持しながら統一を達成するための営為であることは容易に読みとれるのではないだろうか。

東北アジアのこうした新事態にあって、問われてきているのは、日本の立ち位置ではないだろうか。

今問題になっているトランプによる「日米安保改訂」の要求は、米国の覇権のあり方の転換に合わせた日本のあり方の転換を求めるものだ。

日本の防衛は日本自身で、このトランプ「ファースト」の要求が、米国とともに戦争できる日本、9条改憲した日本であることは明らかではないだろうか。

朝米首脳板門店会談を「非核化」の視点だけから見るのではなく、それにも増して、東北アジア新時代の進展、そこで問われる日本のあり方の転換の視点から見る必要があることについて切に提起したいと思う。